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トーベ・ヤンソン(1914-2001)生誕100周年を記念した展覧会が横浜、北海道、新潟、九州、大阪と日本を巡回している。母国フィンランドの首都ヘルシンキの国立アテネウム美術館で展覧会を監修したキュレーター、トゥーラ・カルヤライネン氏による講演会が日比谷図書文化館で行われた。
フィンランドといって最初にムーミンを思い浮かべる人も少なくない。それほどフィンランドを代表する存在であり、世界で広く愛されているムーミンだが、この展覧会ではその作者トーベ・ヤンソンの多彩な「芸術家」としての活動を紹介している。彼女の才能は、画家、作家として絵画、小説の他、挿絵、壁画、連載漫画、詩にも及ぶ。ムーミンを描いている時も画家であるという自負があり、イギリスの新聞イブニングニュースのムーミン連載も契約の7年に留め、その後は弟ラルス・ヤンソンが引き継いだ。
父ヴィクトルは彫刻家、母シグネは切手のデザインを数多く手掛けた挿絵画家という環境で育ち、特に母親は生涯に渡って芸術の道の指針を示す特別な存在であった。
戦時中は雑誌GARMガルムへ、独裁者を揶揄し尊大さを壊す風刺画を多く掲載するなど、反戦への強い意志を示している。ソビエトとの戦争を終結させたいフィンランドでは、かなり勇気のいる行動と言えるだろう。
若いときには芸術家の仲間と共に南国へ探し求めた楽園を、フィンランド湾に浮かぶ島クルーブハルに見出し、生涯のパートナーであるトゥーリッキ・ピエティラと共に、毎夏を過ごした。彼女の友人が訪ねてきた折りに「この電気も井戸もないところでどうやって生活できるの?」と聞かれると、トーベは「ときどき雨も降るしね。」と何気なく答えたらしい。このやりとりからもトーベがどんなに精神的に自由な人であったかが伺える。
様々なものを取り入れる、開かれた人間であることを重視したトーベにとって、人生で大事なことは仕事、そして愛であった。ムーミンの物語では、いいことばかりが起こるわけではない。様々な困難を乗り越え、最後はそれぞれの登場人物が幸せ、または解決策を見出す、それはトーベが模索した人生そのものと言えるだろう。
トゥーラ・カルヤライネン氏が4年に渡りトーベの知人を訪ね歩き、資料を収集して書き上げた著作「ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン」では、トーベの人物像を深く掘り下げ、これまであまり知られていなかった側面にも光を当てている。
トーベの生き様から、一人の女性、芸術家、そして人間としての姿勢を教えられた思いがする。
福士 恭子
プロフィール Tuula KARJALAINEN(1942-)
フィンランドのエスポー美術館のチーフキュレーター、アート・アカデミーの副ディレクター、ヘルシンキ大学教授(美術史)、ナショナル・ギャラリーの総合アーカイブ・ディレクター、ヘルシンキ市立美術館館長、ヘルシンキ現代美術館(KIASMA)館長などを歴任。著書『ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン』はラウリ・ヤンッティ賞受賞。
Tove Marika Jansson(1914-2001)
ストックホルムの工芸専門学校、ヘルシンキの芸術大学、パリの美術学校で学ぶ。1945年から『ムーミントロール』シリーズを発表。1966年に国際アンデルセン賞作家賞、1963・1971・1982年にはフィンランド国民文学賞を受賞。
「生誕100周年 ムーミンをつくった芸術家 トーベ・ヤンソンの知られざる素顔」 / 講演 トゥーラ・カルヤライネン氏
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