Essay



ジャン・シベリウスとカレリアニズム


大倉 純一郎

日本にも多くのファンをもつ作曲家ジャン・シベリウスは1865年12月8日にフィンランドのハェメーンリンナで生まれました。そこで2015年は生誕150年の記念すべき年にあたり、今からすでに様々な記念行事が計画されています。
シベリウスといえば七つの交響曲はもとより、初期の「フィンランディア」や「カレリア組曲」も世界的に有名です。これらの曲ができた時代の背景としてロシア帝国の統治下から独立を目指していた当時のフィンランドの歴史的状況がありました。
当時ヨーロッパではドイツ等を中心に民族ロマン主義という新しい考え方が台頭しつつありました。

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これと同じころフィンランドではエリアス・ロェンロゥトという医師が東部のカレリア地方を徒歩で回って消滅寸前の民間口承詩を集め「カレヴァラ」という一つの物語に纏め上げ1835年に発表したのです。これが後に「原カレヴァラ」あるいは「古カレヴァラ」と呼ばれているもので1849年にはこれをさらに大きくした「新カレヴァラ」が刊行されました。フィンランドの世界に誇る民族叙事詩「カレヴァラ」が出来上がったのです。

この文学作品はフィンランドの人々に民族的アイデンティティーの形成を促し「自分たちにも他の民族に優るとも劣らぬ世に誇るべき文化があるのだ」という自信を、さらには独立の夢さえも与えるものでした。そしてカレヴァラに鼓舞された当時の若き芸術家達はこれらの口承詩が19世紀初めまで途切れずに伝わって きたカレリア地方こそフィンランド文化の心の故郷とみなし、この地への巡礼を始めたのです。この現象をカレリアニズムと呼びます。そしてこのカレリアニズムは1890年代に頂点に達したと言われています。

カレリアニズムを担った人々としては写真家のI.K.インハ、画家のアクセリ・ガッレン=カッレラ、エーロ・ヤェールネフェルト、ペッカ・ハロネン、建築家のルイス・スパッレ、後にユルィオェ・ブロムステッド、ヴィクトル・スックスドルフ、作家ではエイノ・レイノ等が挙げられます。また作曲家シベリウスも1910年代にいたるまでこのグループの中で大きな役割を果たしています。
芸術のジャンルを超えたこのグループの結束、活動、そして成果は目を見張るものがあり、フィンランドの文化史において最も輝かしい時代であったと言えるでしょう。私事にわたりますがわたしがフィンランドに来たのもこの辺に憬れてということができます。

カレリアニズムは象徴主義およびユーゲントあるいはアール・ヌーヴォーの系列を引く民族ロマン主義の思想で、当時のフィンランドの独立運動とも結びつくものです。そして自らの文化的アイデンティティーを民族叙事詩カレヴァラに見出し、当時まだ口承詩を伝える詩人達の残っていたカレリア地方を文化的な心の故郷とみなし、この聖地に巡礼することこそ芸術のジャンルを超えて必須であるというのが中心的思想でした。

しかし当時のフィンランドは文化面では未だに揺籃の時代にあったと言えます。「アレクシス・キヴィは筆によって死んだ、ユハニ・アホは筆によって生きた」とは文学界でよく口にされる言葉ですが、まさにシベリウスと同時代のユハニ・アホに至ってようやく文筆によって生計が立てられるようになったと言えるのです。そしてこれら文化人の裏には忘れてはならない女性が一人いました。その人はエリザベス・ヤェールネフェルトと言い、アレクサンデル・ヤェールネフェルト将軍の夫人で、シベリウスの奥さんのアイノ、そして前述の画家エーロ・ヤェールネフェルトの母にあたる人でした。彼女はもともとドイツ系バルト諸侯の血をひき、ペテルブルクに生まれました。そしてロシア文学をフィンランドに紹介したのみならずフィンランドの若き文化人達を集め、指導し、鼓舞したのです。特にフィンランドの文学界にとって彼女の果たした役割は計り知れないものがあり、この人なしにはフィンランド文学の発展は何十年と遅れをとったものと思われます。当時ヤェールネフェルト学校と呼ばれていたこの家のサロンには駆け出しの文学者達が集まり、先ほどのユハニ・アホにしてもこの人なしには筆によって生きることはできたかどうか疑わしいものです。またこのサロンには文学者のみならず芸術のジャンルを越えて当時の若くして有望な文化人達がぞくぞくと集まってきました。このような中でシベリウスも後に奥さんとなるアイノと知り合うのです。

1892年4月28日にはクッレルヴォ交響曲が初演され、シベリウスは世に知られるようになりました。そして同年6月10日シベリウスとアイノの結婚式がめでたくとりおこなわれ、カレリアニズムに刺激された二人はフィンランド民族の心の故郷、カレリア地方へと新婚旅行に出かけたのです。
この旅の成果としては、まず翌年ヴィープリ地方の学生自治会からカレリア地方の歴史を描いた曲をという注文を受けて「カレリア組曲」が作曲され11月13日にはシベリウス自らの指揮によって初演されました。これによってシベリウスの名は国内のみならず、国外にまでも知れ渡るようになったのです。曲名がすでに語っているようにこの曲は前年のカレリア詣でによってこの地方の文化から強い影響を受け、鼓舞されての成果であったことは言うまでもありません。
その後ロシア帝国による弾圧政策がますます厳しくなるとフィンランドの文化人達はこれに強く反発するようになり、シベリウスも交響詩「フィンランディア」を作曲、1899年11月4日の初演には自らオーケストラを指揮しました。この曲については説明の必要もないでしょうが、これもカレリアニズムの産物であったことには違いありません。
シベリウスがカレリアニズムによって刺激され、作曲した曲はこのほかにもたくさんありますが、この二つの作品が最も代表的なものと言えるでしょう。


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次にシベリウスの訪ねたのは具体的にカレリア地方のどんなところだったのかについてお話しましょう。旅の第一の目的は当時まだ残っていたカレヴァラ調の口承詩を聴き、採集することでした。しかし新婚旅行も兼ねていたので二人はまずリエクサのコリという風光明媚なことで有名な小高い丘に登りました。ここは標高347mしかないのですが、目の前にピエリネンの湖が、そしてその向こうには深い森が延々と続いており、森と湖の国として知られるフィンランドを代表する景色として絵葉書やポスター等でもおなじみの絶景となっています。義兄で画家のエーロ・ヤェールネフェルトもこの景色が痛く気に入ってたくさんの絵を残していますが、シベリウスもまたこの景色に強い感動を受けたたようです。交響曲第四 番はこの丘からの景色を描いたものだという説もあるほどです。いずれにしても特に夏の澄んだ青空のもと、ここからの景色にはさすが森と湖の国を代表するものと言える美しさがあります。
ここから二人はイロマンチという第二次世界大戦後もフィンランド側に残った中での東端の地に向かい、さらに現在の国境を越えてロシア側のコルピセルカェというところまで口承詩を求めて旅を続けています。

ところでこのコリの丘からピエリネンの湖を隔ててちょうど対岸のヴオニスヤェルヴィというところに女流木彫彫刻家エーヴァ・リューナェネンの美術館があり、その中心に夫パーヴォと二人で芸術家人生の総まとめとして自ら設計し1991年に完成したパーテリの教会があります。そしてこのエキュメニズムの教会はキリスト教信者でなくても結婚式を挙げることができ、すでに日本人の二つのカップルが挙式しているとのことでした。この彫刻家については紙数の関係でまたの機会にゆずることにします。

最後にカレリアニズムはあと2年後に独立100周年を迎えようとしているフィンランドの、国の誕生間近の精神的高揚の力強いしるしであったと言えます。それに憧れを感じるのはわたしのみではないと思います。経済不況によって福祉国家としての存亡が問われている昨今、今一度この原点に戻り立ち直って欲しいと願うばかりです。
また皆様にはシベリウスが体験したコリの景観にしても、パーテリの教会にしても、機会さえあったらぜひご自分の眼と足で体験されることをお勧めします。夏の季節には遊覧船がコリとリエクサを結び、冬は凍結した湖の上に氷の道ができてこの二点を結んでいますので、百年前のカレリアニズムと現代の木彫刻芸術に同時に触れることができるでしょう。

プロフィール Junichiro OKURA
1948 年 長野県南安曇郡(現在 安曇野市)生まれ 1987 年 アールト大学語学センター 日本語主任講師、フィンランド文学協会会員
1972 年 早稲田大学文学部卒業、フィンランド留学
1984 年 ヘルシンキ大学人文学部卒業
1981 年 日本・フィンランド文化シンポジウムに参加、発表1985 年 大岡信氏、観世栄夫氏らの援助を得て青山観世流能楽堂にて第一回フィンランドの詩と文学の夕べを主催
1988 年 フィンランド現代詩選集「スオミの詩」編集翻訳、花神社より出版、第25回日本翻訳文化賞受賞1978 年 フィンランド・日本文化友の会創設、初代副会長1993 年 フィンランド・日本語日本文化教師会創設、
初代会長。2004年より名誉会長
1994 年 日本・フィンランド外交樹立75周年、記念誌に執筆「On the Cultural Exchanges between Finland and Japan」
2000 年 第5回ヨーロッパ日本語教師会シンポジウムをフィンランド日本語教師会会長として主催
日本・フィンランド協会、日芬修交80周年記念論集「わたしの読んだフィンランド文学」を執筆
2001 年 大岡信氏主催、連詩の会ニルス=アスラク・ヴァルケアペァー、カイ・ニエミネンの詩,翻訳
フィンランド文学協会創立170周年記念 として「フィンランド文学日本語訳」について講演
2000-2002 年 日本語教材開発プロジェクト参加
1979-2003 年 ラハティ国際作家会議に安部公房氏、開高健氏ほか、日本の作家招待をコーディネイト
2009 年 日本語・フィンランド語ポケット辞典、Gummers社より出版
2011 年- 日本語教科書「いきいき日本語」出版,
ヘルシンキ大学・ユヴァェスキュラェ大学にて客員講師として講義を行う



エッセイ - アーカイブス



ジャン・シベリウスとカレリアニズム / 大倉 純一郎

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