Essay



2016年講演会「フィンランドの音楽教育」 レポート


小川至

2016年10月25日、当協会主催の講演会・演奏会が盛況のうちに終了致しました。 本会では、本協会の理事長であり、自身も世界の第一線でご活躍されているチェリストでもあるセッポ・キマネン氏にご登壇頂き、「フィンランドの音楽教育」と題した講演を自身の演奏を交えながら行って頂きました。

その講演内容は極めて広範に渡るものとなりました。フィンランド人の精神的支柱となる一大叙事詩「カレワラ」に代表されるように、古くから口頭伝承で受け継がれてきたフィンランドの民謡、あるいはその詩の持つ重要性を説くところからはじまり(主要な登場人物のひとりであるヴァイナモイネンは歌によって万物を操作した)、シベリウスを含む多くの芸術家たちがそうした詩と音楽から霊感を得て創り出した作品群がフィンランド独立の際にも大きく寄与したことで、その後もフィンランド政府が芸術に対し大幅な援助を行う精神的基盤が生まれたことなどを話して頂きました。
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講演はそこからフィンランドの音楽教育の拡がりとそのシステムへと広がっていきました。キマネン氏の生まれた1950年代、彼の故郷である小さな村にはその当時チェロを教えられる人はいなかったが、1970年代には既に国の援助によって敷かれた音楽的なネットワークが広がっており、どの土地にいても音楽が学べるようになっていたとのこと。そのカリキュラムは極めてシステマティックなもので、0~2歳までは親と共に、3~5歳は一人で体育など他教科と共に学び、5~7歳ではすでに楽器に触れることができ、それらの楽器を持っていない子たちにも貸与される態勢が整えられ、その後さらに音楽を目指す子たちには入学試験の後、無料で学べる公立学校の道が敷かれているそうです。たとえここで入学を逃しても、希望する子たちには有料ではあるが私立の学校の道が残されています。その教育方針は自主性を重んじるもので、5年後・10年後と常に変転していく世界に対応するために、その学習方向を「自身に選択させる」ことが重要であり、またこうした多様な生徒たちを受け止める柔軟性を学校にも求められているとのことです。

フィンランドの音楽最高学府であるシベリウス音楽院は現在ヘルシンキ大学の芸術部として活動しており、ここではとりわけ指揮科が著名とのこと。多くの学校では指揮の練習の相手にピアニストがあてがわれるのに対し、常に実際のオーケストラを相手にタクトを振れるところに特色があり、その卒業生にもエサ=ペッカ・サロネンやサカリ・オラモ、スザンナ・マルッキなど極めて優れた指揮者を次々と排出しています。
盤石のように見えるフィンランドの音楽教育事情ですが、問題点もあるといいます。多くの人にとって、音楽家になるために費やしたお金に見合ったほどの仕事や収入を手にすることはできないと考えられていることも事実で、キマネン氏自身があるマスタークラスで教えた中で最も豊かな才能を持った二人のチェリストも、その高い能力を持ちながらも「将来は医者になる」と言っていたとのこと。こうした感覚はフィンランドにおいても例外ではないのですね。
しかしそうしたすべての人たちが音楽を仕事にすることが出来ずとも、音楽を学んだ多くの人たちが聴き手としての質を上げ続けているということも事実であり、そうした含蓄ある聴衆たちがフィンランド国内の現代音楽に対する需要と理解を生み出しているとも言えます。キマネン氏は現代音楽の持つ意義を、「(プログラムに対する)色彩を豊かにするというだけではなく、古典作品にはない新たなテーマを投げかける現代の鏡となる」ところにあると言い、事実としてフィンランドのコンサートプログラムには古典と現代の作品を混ぜて組まれることが非常に多いとのことです。
本年である2017年に、フィンランドは独立100周年を迎えました。この一世紀という時間の中で大きな出来事や変化を体験してきたフィンランドですが、それらを通過した現代においても揺るがぬ音楽的土壌と常に新しい風を感じられるのは、こうした未来に対応する能力をもつ個々人を育むということを念頭に置いた教育が作り上げてきた結果なのかもしれません。講演の後も参加者の多くから白熱した質問と回答が飛び交い、極めて充実した時間となりました。
会の終わりにはバッハの無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調からサラバンドとブーレを演奏して頂きました。長時間にわたる講演の後でありながらその疲れを全く感じさせず、豊かな「ことば」の韻律を感じさせるような温かな響きに包まれながら、本会は幕を閉じました。

キマネン氏はさらにこの3日後の28日に実演付きのシンポジウム、その翌日の29日には自身の演奏会、その翌日に帰国されたその日から自身が深く関わる音楽祭がフィンランドで開催されるなど、極めて多忙なスケジュールの最中でありましたが、そのお人柄と音楽から常にユーモアと温かさを私たちに感じさせてくれました。お越し頂きました皆様、心よりありがとうございました!
 

プロフィール 
小川至 / Itaru OGAWA

武蔵野音楽大学器楽学科、同大学院修士課程修了。
チャイコフスキー記念モスクワ音楽院に留学。
2013年・2014年「フィンランド歌曲研究演奏会《フィンランドの森》」参加。
2014年6月、チェロとピアノによるフィンランド音楽演奏会「森の響き、湖の歌」を企画。
2015年から二度に渡り、フィンランドのピアノ作品のみを取り上げた演奏会を開催するなど、フィンランド音楽の魅力を広めるための活動を展開中。

小川葉子、村上直行、山田彰一、峯村操、ジュリア・ガネヴァ、アンドレイ・ピーサレフの各氏に、伴奏法をヤン・ホラーク氏、ナターリヤ・バタショーヴァ氏に師事。
またマスタークラス等において、イシュトヴァン・ラントシュ、ヴィークトル・リャードフ両氏より指導を受ける。
Facebook :Finnish Classical Music Projectを管理



一柳慧プロデュース 「セッポ・キマネン チェロ・リサイタル」レポート



前川 朋子

ベテランのチェリストが音楽の隅々まで知り尽くし、音と戯れているように見える姿が、本当に素敵でした。
人生の味わいが浸み出るような・・・実際は音楽と格闘されているところもあるのかもしれませんが、それすらも楽しんでいらっしゃる様子に、音楽家の後輩として、深く感銘を受けました。
キマネン氏のチェロの音色は、まるで言葉を持ったような説得力と表情があり、あたかもドイツリートを歌うバリトンを見ているようでした。
シューマンをエキサイティングに、ブラームスにはビートがあり・・・シベリウスの曲はキマネン氏と一体となって。
ヒルポ氏のリンドベルイも、難曲でありながら、繊細な表情・・・音楽というのは果てなく可能性があるものですね。

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2016年10月29日(土) 神奈川県民ホール
フィンランド音楽の至芸 - セッポ・キマネンを迎えて -
セッポ・キマネン(チェロ) Seppo Kimanen, cello マルコ・ヒルポ(ピアノ) 

プログラム
シューマン:幻想小曲集 作品73
コッコネン:ソナタ
フォーレ:エレジー 作品24
リンドベルイ:ジュビリーズから3つの楽章
一柳慧:独奏チェロのための「プレリュード」
シベリウス:4つの小品 作品78 より Ⅱロマンス Ⅲレリジオーソ
ブラームス:ソナタ第2番 ヘ長調 作品99



エッセイ - アーカイブス



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