Essay



音楽とメディア


福田 昌湜

わたしは現在67才です。わたしが物心ついた頃はラジオの時代で、タンスの上にあった真空管のラジオで歌謡曲を楽しんでいました。あの当時、レコードプレイヤーを所有する人は稀で、多く人はラジオで音楽を聴いていました。つまり時代は実演(ライブ)が主流であり、複製メディアは一般にはまだ未発達でした。実演といえば、地域の祭りなどで素人のど自慢が全盛でした。家庭にテープレコーダーなどありませんでしたから、のど自慢はプロへの登竜門の一つでした。

わたしがレコードプレイヤーを購入したのは中学1年生の時です。親にねだった、ポータブルの可愛いオレンジのプレイヤーでした。最初に買ったのはレコードではなくてソノシート。レコードを買う小遣いがなくて、ブックレット形式の『ウエストサイド物語』でした。映画のサントラが欲しかったのですが、安価なソノシートは、確かロンドンブロードウェイキャスト版でした。それでも聴きたい時に聴きたい音楽が聴けるのは、とても嬉しかった憶えがあります。
わたしは昔から、ライブよりもメディアの再生を好む傾向があります。ホールで聴くよりも、家の自室で音楽に浸ることが多いのです。それが何に由来するか不明ですが、もしかしたらタンスの上のラジオかもしれません。あの音楽初体験がDNAとなって、後々まで影響を及ぼした可能性は否定できません。

そんなメディアを通した音楽経験を振り返ってみると、大きな出来事が四つほどありました。
わたしの青春時代はアナログレコードの全盛でしたが、複製は専らカセットテープでした。このカセットテープを使用したウォークマンが1979年に発売されています。今では珍しくも何ともない、屋外で、ヘッドフォンで音楽を聴くスタイルが誕生したのです。発売当初はオシャレなライフスタイルというプロモーションで、音楽の楽しみ方を提案しました。ウォークマンの出現は、その後の携帯電話、iPod、スマートフォンの先駆けで、革新的なツールでした。単にリスニングスタイルの変化に留まらず、生活そのものまでに影響を及ぼした、エポックメイキングな機器です。このことは改めて少し述べたいと思います。

次の大きな出来事はCDの発売です。これは1982年です。夢の再生媒体と喧伝され、デジタル音楽のスタートはここからでした。しかし雑音は消えたものの、思ったほどは音質が良いわけでもなく、後年には耐久性にも疑問符が付きました。近年のアナログレコードの復活がそれを裏付けています。この時代までは高音質の再生装置、オーディオが多くの男子の憧れでした。いわゆるコンポの時代です。秋葉原は軒並みオーデイオ専門店で、わたしも足を運んだ経験があります。

秋葉原がオーディオに変わってコンピューターの街になり、インターネットが普及すると、音楽ファイルの共有が盛んになります。圧縮されたMP3がネットを駆け巡り、著作権の問題が浮上してきます。それに一定程度の解決をみたのが、Appleの iTunes Music Storeによる音楽配信です。これが三番目の大きな出来事で、2003年です。
iTunes Music StoreはiPodとソフトウェアのiTunesを組み合わせることで、デジタル音楽生活を提供しています。つまりはコンピューター、携帯再生機、ソフトウェアの三位一体が基本です。iTunes Music Storeが上陸した時、わたしは自室に24時間365日営業のタワーレコードができたと感激しました。大型レコード店の無い地方在住者にとって、豊富なカタログといつでも購入できる利便性は想像外のショップの誕生でした。
著作権問題は一段落しましたが、音質については議論がありました。デジタルファイルの送受信にはどうしても圧縮が必要になります。CDの十分の一ほどに圧縮したものを聴くわけで、理論上は相当な音質劣化ですが、実際に聴き分けられるかどうか微妙です。わたしは聴き比べなければ分からない程度と思いますが、敏感な人には耐えられないかもしれません。最近はそのようなニーズに応えるために、デジタルのハイレゾ(情報量の多い、非圧縮の音源)配信も行われています。

音楽ファイルをダウンロードして、スマートフォンで聴いたり、オーディオとUSB接続して自室で聴いたりしているうちに、音楽生活は次のフェーズに移っていきました。
ストリーミング再生、聴き放題サービスの登場です。日本では去年からのスタートで、代表的なものにSpotify、Apple Musicがありますが、どのサービスもほぼ同じ概要で、月単位で契約して料金を支払う仕組みです。これが四番目の大きな出来事です。
ストリーミングサービスと以前のサービスの最も異なる点は、レコード、CDのような物質、MP3ファイルのようなデータを所有しないことです。音楽の所有から離れて、膨大な音楽ファイルで構築されたサイトにアクセスして、スマートフォンやパソコン、オーディオで聴くスタイルです。試しに登録してみましたが、楽曲数にはほとんど不満がありません。わたしの場合、聴きたい音楽はほぼカタログにありました。音質はiTunes Music Storeと同様、圧縮されたもので、やはり評価は人によって異なると思います。料金は月に980円で年間12000円弱ですから、安いといえば安いのですが、すでにインフラ(通信環境)に結構な金額を掛けているので、一概に安価とは言えないでしょう。おまけに、登録をストップすればCDやデータの購入と違い、ディスクはおろか機器にも何も残りません。
利便性の高い最新のサービスですが、失うものも少なくないようです。
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駆け足でメディア変遷を記しましたが、もちろん人によって経験、印象が異なるので、あくまでわたし個人のものであることをご了承下さい。
しかしながら、その昔の1960年代の音楽体験から比べると、夢のような世の中になりました。聴きたい音楽が聴きたい時に、何処でも聴ける。音質も、ラジオで育った世代ですから、圧縮音源でもさほど不満はありません。関東の地方都市で育って、東京から発信される雑音混じりの放送を必死になって聴いた経験から考えれば、何ほどでもありません。ただ、音楽への熱量は大分下がった気がします。毎週のようにレコード店に通い、小遣いと散々相談して購入したLPほどに音楽に愛着はありません。便利が身に沁みながらも、一抹の寂しさがあるのも事実です。贅沢といえばこれほど贅沢なこともないのですが・・・・。
さて、ウォークマンです。これがどのように生活を変えたか。
音楽を再生して聴くことは、(試聴会でもない限り)プライベートな行為です。他人とは隔絶された、ある意味、秘めた快楽とでも形容できる行為です。通常は部屋で音楽に身を委ねる、それが基本でした。
それをオープンにすることは、個と共の境界が無くなることです。大袈裟に言えば、近代以降の個人や社会の概念が崩されることを意味します。そんな意図とは無関係に、ウォークマンはパンドラの箱を開けてしまったのです。音楽という狭い世界での革新だけではなく、広く近代社会に起きたイノベーションだったと思います。それから考えれば、iPodやiPhoneは事態を加速したに過ぎません。人類の社会史に残るのはソニーのウォークマンです。もちろん、賛否両論を含んだ存在としてですが。

最後に、音楽とメディアに関係したフィンランドの話をしたいと思います。
ウォークマンで始まった、音楽を外でヘッドフォンで聴く習慣は、今はスマートフォンが主流になっています。スマートフォンを大きく分けるとiPhoneとAndroid系になります。これはOS(基本ソフト)の違いで、後者はGoogleが開発、配布しています。AndroidはLinuxというOSが基になっていて、いわばソフトの心臓部はLinuxなのです。
このLinuxは無償のOSで、開発したのはフィンランドのヘルシンキ大学の学生だったリーナス・トーバルズです。Linuxはその後世界中の技術者のネットワークコミュニティによって発展し、今もバージョンアップが続行しています。Androidはスマートフォンシェアで世界一ですから、実質的にはフィンランドのリーナスが生んだLinuxが世界を制していることになります。つまりスマートフォンで音楽を聴く多くのリスナーは知らず知らずのうちにリーナスのお世話になっていることになります。フィンランドはノキアでも有名な携帯、電子王国ですが、コンピューターやスマートフォンの根幹でも大きな存在になっています。ついでに言えば、Linuxはオープンなソフトウェアで、商用のMicrosoftやAppleとは一線を画した、自由に改善、配布できるOSです。このようなフリーのソフトウェアはアメリカの西海岸が発祥で、カウンターカルチャー文化の中から出てきました。Linuxもその流れの中にあるのですが、一般的なコンピューターのイメージとは違う、自由で開放的な思想が内包されています。Linuxとカウンターカルチャーの親密な関係は、音楽とカウンタカルチャーの関係と重なっていて、コンピューターと音楽がその昔から繋がっていたことを想像させます。

プロフィール 
福田昌湜 / Masakiyo FUKUDA

1949年山梨県甲府市生れ
1973年法政大学社会学部卒業
1974年創形美術学校版画科卒業
1979年〜1984年 喫茶/ギャラリー「西瓜糖」(東京阿佐ヶ谷)経営
2010年〜 ギャラリー「iGallery DC」(山梨県笛吹市石和町)運営
美術家として、「SW11」(東京原宿)他で個展、グループ展開催



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