Essay



フィンランドでの学び


堀内 都喜子

「大きくなったら何になりたい?」
誰もが子どもの時に聞かれた質問だろう。でもそれに答えるのは子どもだけの特権ではない。そう感じさせられたのがフィンランドで一番の学びだったかもしれない。
私がフィンランドに留学していたのは2000年から2005年。当時は留学生も学費が無料だった。(現在EU以外の学生からは授業料を徴収)。私もその恩恵を受けて、5年間、支払ったのは学生カードを作成するための年間約1万円のわずかなお金のみ。学生カードを見せれば学食の食事は安価に。国内の交通費も半額。大学のクリニックや歯医者も格安な値段で利用できた。フィンランド人の学生はさらに、生活費や住居費の手当が政府からもらえるため、家庭の経済事情に左右されることなく、実力と意欲があれば誰もが大学に進学できる。
2000年の留学当時は日本人がまだ少なく、中部フィンランドのユヴァスキュラ大学で私はかなり目立った存在だった。しばらくすると通訳や翻訳、日本語を教える仕事などが次々と入ってくるようになり、生活できるぐらいの収入も得られるようになった。フィンランドの総合大学は日本と違って決まった学年もなく、単位の上限もなかったので、周りには10年以上在籍している学生も珍しくなかった。そんなのんびりした雰囲気にあっという間に馴染み、時に仕事をしたり、時に違う学部の授業を取ったりしながら2年のつもりだったのに、あっという間に5年が過ぎていた。
それでも、留学当初は戸惑いの連続だった。フィンランドの大学のいいところは選択肢が多く柔軟で自由なところだが、それは言い換えれば自分で考えて自分で行動しなければならないことを意味する。どの授業を選択するか、どういった形で履修するか、課題提出をどうするか。誰も「こうしなさい」とは言ってくれず、自分で模索し、講師と交渉する。誰一人として同じカリキュラムの人はいない。それは、ある程度決まった型があって「みんなと同じ」ことに慣れていた私には、当初はとても難しく感じられた。
大学で幅広い年齢層や背景の人たちと出会い、他の国から来た人たちとも交流する中で、他人と比較せず、自分の可能性は年齢や性別で狭めないということを学んだ。どうしても「30代だから、女性だから、○○だから...」と思いがちだったが、フィンランドに住んでいれば周りに20代で企業や組織の役職についている人もいたし、40代で高校、大学に通って転職した知人もいた。子育て、家事、仕事、趣味、全てをこなしながら、さらに大学に通っていた友人もいた。結局、性別や年齢に関係なく、人の可能性は無限大にあるもの。だからこそ、何歳になっても、家庭を持っても「将来○○になりたい」と思っていいのだと気付かされた。
ただ、可能性を活かすには一歩を踏み出す勇気を持つことも大切だ。留学当初、フィンランド人の友人に「あなたはここでは珍しい日本人で、日本から見れば珍しい国に留学している。人とは違うというメリットがあるのだから、どんどんアピールすべき」と言われた。その時はそんな勇気がなかったが、仕事やアルバイトを得るために、何十社に履歴書を送り、電話をかけ、貪欲に自分をアピールしている友人たちを見て、「ダメもとでやってみよう」と考えるようになった。フィンランドでは新卒というカテゴリーはないため、どんな仕事を得るにも、経験者と同じ土俵の上で戦わなければならない。そのためには、研修や夏休みのアルバイトで積極的に実務経験を積み、コネを作り、アピールする必要がある。普段、フィンランド人はシャイで静かだというイメージがあるかもしれないが、一方で貪欲に自らチャンスをつかもうとする人たちも多い。
また仕事を得てからも次のステップアップのため、もしくは仕事の幅を広げるため、常に学び続け、よりよいチャンスや興味の惹かれることがあれば、あっさりと今までのものは捨て、新たな道に飛び込む。雇用が不安定だという理由もあるが、成人教育に参加するフィンランド人の比率は、世界でも最も高いレベルにある。

将来を見据えた教育へ
フィンランドの教育というと、かつて15歳を対象としたOECDのPISAの学力調査で世界1位になったことで有名になったが、もともと教育や社会保障の根底にあるのは「誰一人も取り残さない」という理念。550万人の小さな国を維持していくには、1人1人ができるだけ健康で幸せに生き、納税者となることが大切だ。教育においても、エリートや一部を尊重することよりも、落ちこぼれを作らず、全ての子どもたちに安全な場所と同等で平等な機会が与えられることを基本としている。
そんなフィンランドの教育も時代とともに変化している。2016年には日本の学習指導要領にあたるコアカリキュラムが一新された。プログラミングの必修化や外国語をより早くから学ぶようにするといった変化もあったが、全体的に今まで以上に生徒の主体性が重要視された内容となっている。それは、いずれやってくるAI時代を見据えてのことでもある。現在の仕事の多くがAIに代わられる将来、今ある知識のどれほどが役に立つだろうか。生き抜くためには自分で考え、新たなことを自ら学んでいかなければならない。そのために、何を学ぶかよりも、どうやって学んでいくかに焦点を当てた教育を目指している。
最近の教室の様子を見ていると、学年が上にいけばいくほど先生は見守っているだけで、生徒自らが学び、教えあう様子が見られる。楽しそうに見えるが、そのスタイルが効果的かと聞かれれば、答えはわからない。学力調査などで今後、順位は落ちるのではないかと懸念されているが、国の専門家は「だから、どうしたというの?」と答える。世界一を目指すよりも、何十年後かの未来を生き抜く力を身につけることの方が大事だと考えているからだ。こういった遠い先を見据えて迅速に試してみるのは、フィンランドの面白いところである。

さて、冒頭の「大きくなったら何になりたい?」の質問、みなさんの答えは何だろうか。私はいろいろあるのだが、実はその一つに音楽家がある。特に何かのプロになりたい訳ではないが、幼い頃からピアノ、歌、三味線、フルート、と様々な音楽を経験してきたので、将来はきちんと学んだり研究したりしてどっぷり浸かってみたい。さらに内側にあるものを言葉だけでなく音で表現してみたいとも思う。きっと音楽は、AI時代が到来しても決して消えないものでもあるだろうから。



プロフィール
長野県出身。大学卒業後、日本語教師などを経てフィンランドのユヴァスキュラ大学大学院に留学。コミュニケーションを専攻し修士号取得。帰国後は都内のフィンランド系機械メーカーに勤務する一方、ライター、通訳としても活動。2013年よりフィンランド大使館広報部でプロジェクトコーディネーターとして勤務。趣味はフルート、スポーツ観戦、料理。著書『フィンランド 豊かさのメソッド』(集英社新書)。翻訳作品『チャーム・オブ・アイス~フィギュアスケートの魅力』(サンマーク出版)



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