フィンランド人の合理的でクリエイティブな社会 – 街のリズムと調和

大久保 慈

日本・フィンランド新音楽協会の講演会および演奏会にお招きいただきまして、誠にありがとうございました。私自身は音楽を演奏することはできませんが、ただ憧れをもって音楽を楽しく拝聴させていただきました。

異分野の芸術が出会うという御協会の本日のコンセプトに賛同しまして、まずは私が思う音楽と建築の共通点をお話しいたします。
まず最初のキーワードはリズムと調和です。私は門外漢ながらも音楽を聴く際にはその一つ一つの奏でられた音がリズムをもって音楽となり、全体性を形作るということが、少しだけ建築に似ていると思います。建築は一つ一つの要求室がありコツコツとディテールを積み上げ、それをまとめて全体としての空間ができあがって建物になります。そこには抑揚というリズムがあり、それが調和してこそ良い建築となるので、ひとつひとつの音符から一曲の音楽という全体を形作るのに似ているなと思います。建築にはストーリー性も重要です。劇場であれば、アプローチから開幕を待つ空間、劇場のホール、そして観劇の余韻に浸りながら帰るまでの動線が美しいストーリーを語るのです。私が世界で最も好きな建築である、フィンランドのアルヴァ・アールト設計のセイナツァロの村役場のアプローチを写真で紹介します。この建築は村役場という村の意思決定の大切な機能に対し、アールトが議会へのアプローチに圧迫感や開放感、光の使い方を工夫して神聖ささえも感じるかのような演出をして、真摯な気持ちで議会に向かうようにとの思いを込めた建物であります。

そして音楽と建築の共通点としてもう一つ大切なキーワードは時間軸です。音楽を奏でるということは、ときには劇的に、ときには緩やかに時間とともに移り行く音の移り変わりを楽しむものでありますが、建築は人がその中を歩き、移動していく中でその動線とともに空間が移り変わっていくものであります。その空間体験は音楽を楽しむということに共通すると思うのです。また、時間の話をする際に歴史という時間軸も大切です。それはいわゆるクラッシック音楽と言われるようなその時代を代表する音楽に対し、建築もその時代によってジャンル、つまりは様式が移り変わり、そういった様式はその時代を反映しているものであります。

しかし建築には音楽と決定的に異なる部分もあります。それは「場の力」であり、つまりはその場所に根ざしているということです。そして建築は科学技術に依るところも大きいです。日本には地震がありますから構造技術は大切です。そして建築には社会性というものがあります。それは例えば自宅やカラオケでデスメタルのような個性的な音楽を聴いても誰も文句を言う人はいませんが、街中で一軒だけ個性を主張して、ただただ目立つだけの建物を建ててしまうと近所の人は快く思わない可能性があるということです。

ではそこで良い建築とはどういったものなのかという疑問が出てきます。フィンランドでは公共建築をはじめとして数々の建築設計競技が行われますが、その評価の際に問われることは建物が周辺環境に合っているかということです。それは建物の高さや大きさといったヴォリュームであり、形態であり、材料であり、地域性があります。そして建物が用途に合っているかということ、その時代を代表しているか、そしてその上でひと工夫されているかということが評価基準になるのです。こういった評価基準はもちろん相対的なものでありますが、フィンランドではよく「見ればわかるでしょ。」というような言い方をされるのも事実です。これはある種の社会的な合意だと思います。ある建築家と話をしていた際に聞いた話ですが、この社会的合意の最たるものがイイッタラのテーマというマグカップです。フィンランド人家庭ならどの家庭にもあるのがこのカップで、いわば国民的マグカップなのです。ヨーロッパの中でフィンランドの地理的位置は北端であり、いわばこのマグカップの縁から全体を見渡しているようなものです。そんな地理的な位置と、また時代背景からフィンランドの社会的合意と言われるものが出来上がってきたと思われます。

歴史的にはまずラース・ソンクという人によって書かれたモダン・バンダリズムという本によって都市計画がエンジニアから建築家の手に委ねられることとなり、これによって都市が人間的であり調和することの美しさが評価されたのだと思います。そしてアールトをはじめとして建築家はドアノブから都市までスケールを縦横無尽にデザインするようになります。これはフィンランドの建築教育の中でも重要視されますが、建築をデザインする際にはドアノブなどのディテールをデザインする際にもその建物、ひいてはその建物が建つ都市までを意識してデザインするということであり、その逆もしかりです。こうして都市の調和、良識が形成されるのです。

周辺の既存環境に合わせて都市が形成されていくと、記憶の継承ということが大切になってきます。1970年に出版された「誰のヘルシンキ?」という本があります。これは開発の波、経済の波に飲まれゆくヘルシンキの街並みをつぶさに記録したものですが、この本によってヘルシンキ市民が既存の建築、都市環境を見直し、大切にするようになり、環境保護の意識を高めていったのです。先日、ニューズウィークの日本版ウェブサイトにフランスのフィガロ紙の記者がイコモス(国際記念物遺跡会議)が鎌倉のユネスコ世界遺産登録へ反対している件に関してコラムを書いていました。世界的な歴史的建造物への評価は個々の単体の建築物よりもその周辺環境を含めての環境保護になってきているのです。ではなぜ建築を保存するのかということでありますが、それは多様性と種の保存です。動物の種の保存はありますが、同じ考え方です。文化としての多様性の保護です。では古い街並みのある街は再生できないのかという経済的な発展との矛盾が生まれます。しかしこれに関しては建築家の創造性によってやりようがあります。建物のヴォリュームや材料を合わせて新しい建築を建てるということやコンバージョンなどといった苦肉の策を駆使している都市はたくさんあるのです。ヘルシンキもその一つであり、ここにこの街の社会的合意、良識のようなものが生きてきます。さきほどの「誰のヘルシンキ?」の本を書いたヴィルヘルム・ヘランダー教授に、「では良い都市とは何ですか?」という疑問を投げかけたことがあります。彼は「良い都市とは普通の人の普通の生活がある都市」と答えておられました。世界のグローバル化が進む中、世界中の都市に似たような店があり、ブランドに合わせた建物が建ち、観光客相手の似たような観光サービスがあり、都市が均質化していく中で、その土地に根ざした人々の普段の生活がその都市を形作っているのです。

地域のアイデンティティー、普通の人の普通の生活、という件で注目すべき点はフィンランドの国家ブランド戦略です。いわゆる地域ブランディングです。地域ブランディングの話は尽きませんが、私がヘルシンキ工科大学の修士設計の論文のために調べたことによると、公平であることつまりは透明性、そしてその上で地元の人が持つその土地に対するアイデンティティーと外部の人がもつその土地の評価の一致が大切です。このフィンランドの社会的合意、良識によってこの国というブランドができているのだと思います。

講演会では音楽から国家ブランディングへととりとめのない話を時間軸、スケールを縦横に行き来しながら話しましたが、とても印象的な質問をいくつかいただきました。そのうちの一つを引用させていただいて、講演レポートのまとめとさせていただきます。日本のデザイナーが個人ではとても優秀でありながら組織の中でうまく才能を活かせないことが見受けられるということ、フィンランドではどうやって個々の可能性を引き出す原動力を作っているのかと聞かれました。私は学校教育や専門職の職業経験の中で培われる自信が大きいと思います。それは学校で教授される建築家として、専門家としての物の見方でありその自信をもって自分の力を最大限に利用するということです。とても良い質問で私もその後、いろいろ考えました。日本の建築家、デザイナーは優秀です。その人たちが元気に自信をもって良いモノづくりができるようになればいいと切に願います。

大久保 慈
建築家。1974年生まれ。1998年明治大学理工学部建築学科卒業。2009年 ヘルシンキ工科大学(現アールト大学)建築修士修了。1999~2012年フィンランド在住にてR-H Laakso、JKMM、K2Sなどの現地事務所勤務の後、2012年 から日本に活動拠点を移す。フィンランド建築家組合 (SAFA)正会員。著書に 「クリエイティブ・フィンランド-建築・都市・プロダクトのデザイン(学芸出版 社)」 http://www.megumiokubo.com