フィンランドでの指揮活動を通じて

篠崎 靖男

「僕は、構成と言う言葉は使った事がありません。コンセプトですね。」
今回、フィンランド新音楽協会にご招待頂きました。まずはゲストスピーカーとして45分間、フィンランドでの指揮活動をお話させて頂き、それから、敬愛する作曲家ラウタヴァーラのクリスマスオペラ「The Gift of the Magi」のDVD上演をし、最後の20分間、一柳慧先生との対談と言う流れでした。一柳先生は、留学先のニューヨークで、ラウタヴァーラととても仲良くなさっておられたそうで、そんな話を伺おうという趣向だったはずでした。僕が一柳先生に初めてお会いしたのは、フィンランドでのある有名な現代音楽祭。その年のテーマは一柳先生で、僕は当時、日本人として唯一フィンランドのオーケストラの指揮者をしていた事もあり、招待を受け、一柳先生の作品を指揮させて頂く機会を得たのでした。

その後、一柳先生がフィンランド新音楽協会を作られた事は皆様もご存じだと思います。今回の対談ではもちろん、先生のフィンランドに対する印象も伺おうと思っていました。ところが結果的には、ラウタヴァーラ氏との思い出は、サッと通してしまって、フィンランドの印象も伺う事もなく、僕は、作曲家一柳先生自身のお話を伺う事に専念してしまったのでした。僕は、「先生は、作曲なさる事に対して、何かしらご自分自身でポリシーとか、表現したい事の心棒を持たれていて、それが先生の作曲する上での構成と伺った事があるのですが、作曲には、やはり何か心棒が必要なのでしょうか?」と言ったようなご質問をした時の先生のお応えが、この文章の最初にあるものでした。

音楽における構成とは何か?もしかしたら音楽だけに関わらず、芸術作品に必須なコンセプトという概念の、ある時代における一つの手段でしかないのかもしれません。

そう考えて行きますと、シベリウス→ラウタヴァーラ(シベリウスの推薦状で、フルブライト奨学金を得、ニューヨークに留学。)→カレヴィ・アホ(ラウタヴァーラの教え子)という、フィンランドの作曲の一つの流れと言うのは、具体的な構成や作曲法と言うよりも、共通しているコンセプトだと考えると、成程と思えます。今回の講演会では、音源を使ってこの三名のフィンランドを代表する作曲家の共通性をご説明しましたが、それは作曲技法というよりも、音そのもののイメージ。フィンランドの自然、人々、言語が持つ、独特なAtmosphere だと考えれば、とても説明が付きやすい。つまりは、フィンランドの大地が生んだコンセプトかもしれません。

僕は、2000年シベリウス国際指揮者コンクール第二位を頂いたのち、ヘルシンキ・フィルを始め、数々のオーケストラと毎年、共演を重ね、2007年から2014年まで、7年半の長い時間に渡りまして、キュミ・シンフォニエッタ芸術監督として、仕事をさせて頂きました。今現在もフィンランドに行く事は度々ありますので、もうフィンランドとのお付き合いは、今年で15年目となります。そこで、驚かされた事が二つありました。フィンランド人はとても鳥が好きなのです。窓の外に鳥を見つけたりしたら、もう大変。周りにいる人まで一斉に窓の所に集まり、大騒ぎになるほどなんです。どうしてそれ程好きなのか、疑問に思っておりましたが、最近わかって来た事があります。

フィンランドは、豊かな自然に囲まれておりますが、長い冬が宿命的に訪れます。冬とは”静”です。
そんな中で、渡り鳥の到来は、唯一の”動”。今回の講演では、シベリウスのトゥルネラの白鳥を聴いて頂きましたが、弦楽器が、”静”として冬空と寒い大地を表し、白鳥を演じるコールアングレがその中の唯一の “動”を表現します。このようなAtmosphereが、ラウタヴァーラ、アホ氏に受け継がれている事。講演当日は、音源にてご説明致しましたが、もしお越しになられておられなかった方々は、是非一度、この3名の作曲家の作品を聴き比べて下さい。

もう一つは、独立記念日を本当に大事に祝います。名チェリストで、前フィンランド大使館文化担当官のセッポ・キマネン氏に伺ったところ、クリスマス以上だとの事でした。フィンランドは長い間、他国の支配下にあったのにも関わらず、フィンランド人としての自覚を忘れずに独立を目指し、勝ち取った。このエネルギーたるや、凄いものでした。実際に、そのエネルギーは今も続いており、海外から初めてフィンランドを訪れた外国人は、知り合ったばかりのフィンランド人から、延々とフィンランドの独立の歴史を聞かされると言う洗礼を必ず受ける事になります。もちろん、僕もその一人でした。独立記念日は、12月6日。毎年、フィンランド全土で祝賀コンサートが行われ、最後は、第二の国歌ともいうべきシベリウスのフィンランディアで締めくくられる伝統なのです。僕は日本人でありながら、幸運な事にキュミ・シンフォニエッタの指揮者として、独立記念日コンサートはもちろん、海外ツアーにおきましても、何度もフィンランディアを指揮する機会があったのですが、彼らのフィンランディアは最初の一音目から、とても強い思いがこちらにも伝わって来て、言葉にならないくらいの凄まじい演奏になるんですよ。驚く事に、聴衆の中には、毎回、感動で泣いている人もいるんです。
実際には、フィンランディアは、他国の支配があったからこそ出来た作品かもしれません。しかしながら、自らの力で独立を果たし、今なお、民族の精神の中心としてこのような音楽を持っているフィンランド人。なんだかうらやましくも感じるのです。

最後に この拙い文章を読んで頂いた皆様、そして当日 ご拝聴頂いた皆様に御礼を申し上げます。


プロフィール Yasuo SHINOZAKI 指揮者
2014年9月より静岡交響楽団 ミュージック・アドバイザー
2015年より常任指揮者
1968年京都生まれ。桐朋学園大学にて、指揮を山本七雄、飯守泰次郎、声楽を木村俊光の各氏に師事。同研究科修了後、「フィガロの結婚」でオペラデビュー。1993年、アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールにて最高位を受賞。その後、シエナ・キジアーナ音楽院でイリヤ・ムーシン、チョン・ミュンフン両氏に、ウィーン国立音楽大学でレオポルド・ハーガー氏に、タングルウッド音楽祭のセミナーで小澤征爾、ベルント・ハイティンク両氏に学び研鑽を積んだ。

1998年、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団定期演奏会で日本デビュー。「押し出しのある熱気を持つ棒」(音楽現代)と評される。2000年、第2回 シベリウス国際指揮者コンクールおいて第2位受賞。ファイナルの模様はフィンランド国内にテレビ中継され、共演したヘルシンキ・フィルからは絶大な支持を受け、以後定期的に登場している。
2001年より、ロサンゼルス・フィルのアシスタント・コンダクターに就任。40回以上のコンサートにおいて、古典派から現代音楽の世界初演まで幅広いレパートリーを手がけ、在任中の02年には客演指揮者のキャンセルにより、急遽代役として定期演奏会にデビュー。その成功が大きな話題となり、ロス・アンジェルス・ウイークリー紙の02年音楽賞「傑出したクラシカルアーティスト部門」にノミネートされた。2004年に任期を終えるまでの間、両者の関係は非常に密接で充実したものとなり、数多くの絶賛を博した。