エリオット・カーターと「音楽の流れ」

朝川 万里

アメリカを代表する作曲家エリオット・カーター(1908-2012)の没後5年となった 2017 年の秋、私はニューヨークのレコーディングスタジオで日本人としては初めてになるカーターピアノソロ作品集の録音を行った。
一世紀を越え生き抜いたカーターは世の中の音楽の進展・風習に惑わされることなく、常に自分と向き合い、自身の音楽言語を見据え、亡くなるまで進展を続けた作曲家である。ニューヨークに生まれ、103歳と11ヶ月でニューヨークにて没した。

カーター氏との最初にして最後の出会いは、私が 2012 年 2 月にカーネギーホール・リサイタルホールにて All- Carter リサイタルを行った時である。当時103 歳であったカーター氏が聴きに来てくださるであろうとは思いもしなかった私は、複雑で演奏困難であるとされる彼のピアノ作品の数々を弾き終わり、客席から立ち上がり笑顔で拍手を送ってくださったカーター氏を見て驚きと嬉しさを隠しきれず、舞台から駆け下りて行き、初対面の老作曲家と抱擁をかわしたのであった。

この年、ニューヨークの冬はびっくりするほど暖かく、当日も気温は 15 度を上回り、ニューヨーカー達は半袖で街を歩いていた。

カーター氏も白いシャツにウールのジャケットといういでたちで、輝くような笑顔と共に、「よくやったね」と声をかけてくださったことを思いだす。

カーター氏はその後すぐに亡くなってしまったのであるが、このことがきっかけとなり、存命中に設立した Amphion 財団より助成を得てピアノソロ作品集の録音を行うことになったのである。

2009 年に東京で行ったカーター氏の 101 歳のお誕生日を記念するリサイタル以降、10 年近くいろいろな形でカーター作品に情熱を持って取り組んで発表してきたことが、最終的にカーター作品集の CDの収録へと繋がり、大変嬉しい出来事であった。私は中学生の時から17年間アメリカで生活したが、実はその間にカーター作品を弾いたことがなかったのである。アメリカ生活を経てイタリアで生活するようになったころ私のレパートリーは徐々に近代音楽へと傾斜していき、ヨーロッパでもアメリカを代表する作曲家として知られているカーター作品に出会ったのである。すぐにその輝くような彼の作品に魅了され次々と彼の作品をレパートリーに取り入れた。その後日本に住居を移し、その当時まだカーター作品は演奏されることが少なかった東京の音楽界でも必ずカーターピアノソロ作品、室内楽作品を演奏してきたのである。特に日本では複雑で演奏困難という印象を持たれている彼の作品が初めて聴く聴衆の心に響きやすいように、数々のレクチャーコンサートでは、彼の人間像、作品の背景、少々の分析などを含む解説を試み、その複雑さの裏にあるカーター作品の豊かな音楽性について繰り返し語ってきた。そして 2016 年に再度ニューヨーク州とメーン州でカーター作品を含むリサイタルを行った際に、カーター氏の財団から、カーター作品集の収録の助成の話を受け、その翌年にはニューヨークで録音を実現させる運びとなったのである。

さて、非常に複雑で演奏困難な作品として知られるカーター作品は、その複雑さ故に、真の音楽性にスポットがあたりにくいのであるが、そこには非常に豊かな感情表現が宿っている。彼にとって複雑なリズム、ハーモニーなどの要素を提示することが重要であるのではなく、それらの要素がどのように関連し共鳴し合いながら「音楽の流れ」 を創るかということが、彼が一貫して追求したことである。

この「音楽の流れ」”The Flow of Music”とはカーターがインタビューの中、または著書の中で自身の音楽について語る時に度々用いている表現である。カーターにとって複雑な要素や困難な技術は、息の長い感情豊かな「音楽の流れ」を作り出すためのツールであり、彼は「音楽の流れ」を、長い文章の中である言葉がもう一つの言葉に続き、2つ目の言葉は最初の言葉を展開または制限し、3つ目の言葉はそれまでの言葉に新しい光を与えるといった形態に例えている。

私は演奏家としてこの流れの着想に魅了されたと同時に、それは彼の音楽の本質を理解する鍵となったことから、このカーター作品集のCDタイトルをThe Flow of Music とした。このことがCDを聴いてくださる方々にとってカーター音楽を理解する手ほどきへと繋がることを願っている。

多様な音楽文化が入り混じるアメリカで、常に自身の音楽言語を見据え、亡くなるまで前進を続けたカーターは 、 最初の師であったチャールズ・アイヴス Charles Ives (1874-1954) の音楽については「誇張表現」と評したり、また音楽の中にアメリカの独自性を主張しようとしたアイヴス、ヘンリー・カウエル Henry Cowell (1897-1965)、アーロン・コープランドAaron Copland (1900-1990)の観念にも賛成せず、12 音技法、セリー技法に固執することにも抵抗を示した。しかし、その一方ではミルトン・バビットMilton Babbitt (1916-2011) のシリアル音楽への貢献を唱え、ロジャー・セッションズRoger Sessions (1896-1985)の高潔な音楽と人間性、シュテファン・ヴォルペStefan Wolpe(1902-1972) の信念と厳しさ、コンロン・ナンカロウConlon Nancarrow (1912-1997) のピアノロール作品を讃えた。そして、ピエール・ブーレーズPierre Boulez (1925-2016)とはお互いの音楽を認め合った交友関係にあった。彼はそれぞれの個性がお互いに影響しあい、共鳴しあい、関連性を持って生きていく世の中を望んだ人であった。近今では、このような人間像を反映するカーター氏の作品がフィンランド国内でも、またフォンランド人演奏家によって多く演奏されるようになったようである。また去年はフィンランドのレコードレーベルOndine(ODE 1296-2)から、カーターの 2012 年に作曲された最期の作品を含む後期の作品集がリリースされたところである。

カーター作品の知名度が世界的に向上していることは、カーター作品の信奉者として素晴らしいことだと思っている。



プロフィール
20世紀、21世紀の音楽を専門に、日、米、欧で活躍するピアニスト。
ジュリアード音楽院、エール大学大学院卒業。
2004にはプロコフィエフ没後50年を記念してイタリアPhoenix Classics社 からプロコフィエフピアノソナタ:「戦争ソナタ6、7、8番」のCDをリリースし、「奥に秘められた作品の豊かさを浮き彫りにしていく成熟度の高い演奏」「近年はやりの怒り肩のプロコフィエフとは一線を画している」と高く評価された。
その後、イタリア、日本、イギリスを含む計10カ所でのプロコフィエフピアノソナタリサイタルや、イタリア、フランス、スイス、日本にて「ピアノが奏でる20世紀の音」と題するリサイタルを開催。
2012年2月には、アメリカ・ニューヨークのカーネギーホール・ワイルリサイタルホールとニューヨーク州立大学で、アメリカを代表する作曲家エリオット・カーターのピアノ作品のリサイタルを開催し、その場に来場した103歳のカーター氏の賞賛を得る。
同年12月に東京・杉並公会堂にて開催されたエリオット・カーター追悼演奏会・ピアノリサイタルがNHKFM「現代の音楽」にて放送される。
2016年に再度渡米しベイツ大学及びカーネギーホール・ワイルリサイタルホールでリサイタルを開催した。長年に渡りカーター音楽を日、米、欧で演奏を続けてきた功績が認められ、2017年にはカーター氏が存命中に設立したAmphion 財団より助成を得て、日本人アーティストとして初めてのカーター録音を行った。
現在、愛知県立芸術大学、放送大学で非常勤講師を務める。