A decade

新田ユリ

創造的・独創的であること、プロジェクトを好むこと・・
フィンランドの音楽家との交流で得た感想である。
2000年10月から1年間、文化庁芸術家在外研修生としてラハティ交響楽団の当時の音楽監督オスモ・ヴァンスカ氏のもとでシベリウスの音楽を中心に学んだ。以後フィンランドと毎年行き来を続けて10年が過ぎた。ラハティ交響楽団は当時シベリウスの交響曲はすべて録音を終え、交響詩や未出版の作品など とにかくオーケストラが必要なシベリウスの作品はすべて録音するというBISのシベリウス全集プロジェクト遂行中だった。毎年9月に開催されるシベリウス音楽祭ではアンコールに初演の作品が登場するなど目の離せない活動が続いていた。一方シベリウスの影に隠れたと称される多くの作曲家達、そしてシベリウス後のフィンランドを代表する作曲家達の作品にも接し、楽譜を入手し、それを日本に紹介という企画を続けてきた。
シベリウス後の時代でこれまで特に多くその作品に接した作曲家は、エイナル・エングルンド、エイノユハニ・ラウタヴァーラ、P.H.ノルドグレン、そしてカレヴィ・アホ。吹奏楽の世界ではユッカ・リンコラ、ハッリ・アハマスの作品を日本で初演している。エングルンド、ノルドグレンは故人となってしまったが、ノルドグレンにはお目にかかっている。ノルドグレンは日本の作曲家にも学び作品には日本文化をテーマとしたものも多く見られる。同時にそれがフィンランドの古来の文化とも結びつき、親近感を覚えつつも新しい刺激を含んでいた。エングルンドの交響曲第4番は弦楽オーケストラと打楽器アンサンブルの編成だがこれまで3度演奏した。エングルンドはシベリウス後のシンフォニスト。そしてフィンランドとロシア(ソ連)という隣国の音楽の接点が彼の中にある。ラウタヴァーラはカレヴィ・アホの師匠であり現在フィンランドの作曲界の最長老。ラウタヴァーラには弦楽合奏の作品から接した。時代と共にスタイルを変えながら歩むこの作曲家からは、ウィンドオーケストラ、室内楽、オーケストラともに雄弁な時代の写し絵が聞こえる。それは弟子のカレヴィ・アホに引き継がれている。個人的にも面識のあるカレヴィ・アホだが、彼はラハティ響のレジデンスコンポーザ。ゆえに新作の初演や録音に何度か立ち会うことができた。2001年の初め、カレヴィ・アホの「Ennen kuin me kaikki olemme hukkuneet」というフィンランド語のオペラがオスモ・ヴァンスカ氏の指揮によりフィンランド国立劇場で上演された。そして夏にはサヴォンリンナ音楽祭において、カレヴィ・アホ、オッリ・コルテガンガス、ヘルマン・レヒベルゲルの共作であるオペラ、「Aika ja Uni」が初演され、ヴォーカルリハーサルの手伝いとヴァンスカ氏のアシストをしていた。フィンランド語がまだほとんどわからなかった頃にテキストを持つ作品を通してカレヴィ・アホに接したわけだが、そこにはフィンランド語が持つ語感と日本語の類似性、そしてテキストの音楽化における作曲家の特質をじっくりと感じることができた。その一例を挙げてみると、フィンランド語はほぼすべての言葉のアクセントが冒頭にある。また母音の多い言語であり それゆえ日本人には発音がしやすい言語と言われる。その類似性ゆえ テキストの歌唱は日本の作品と近い響きと旋律がある。しかしカレヴィ・アホの特徴の「ある種のハプニング」なる新しい響きの生成がテキストの背景の世界を刺激的に描いていた。師匠ラウタヴァーラと同様隣り合わせの2度音程の多用、緊張と弛緩の連続、めまぐるしい変拍子(しかしそれは言語のリズムと一致する)。カレヴィ・アホの作品に慣れているラハティ響のメンバーでも常に「彼の作品は難しい」と語る。絶えず何かが動いている。しかし不思議なことに、多くの音がありながらも、また複雑な変拍子に悩まされながらも無駄なくそれは融合し、最終的には静かな日常の空間、あるいは広大な自然界という世界が聞こえる。それはラウタヴァーラも同様と思う。例えば喧騒の無音映像がその場の本質を見せてくれることがあるように、特別なドラマを描きこまなくても語らせることができる「音」の在り方が、このオペラと接した時に強烈な印象となって残った。
「誰の作品か、わかること」「自分の文化、背景を大切にすること」「よその音楽文化の理解は、2番手でもよい」この10年のフィンランドとの付き合いで複数の音楽家から告げられたメッセージである。独自性、独創的であること、自国の文化を自信を持って輩出すること、そこには基礎的なことはおろそかにせずに、という但し書きが入る。基礎はきちんと身につけ、その上で自分の言葉で語ったことは自信を持って世の中に発してゆく。その姿勢はシベリウスの時代から変わらず脈々と続き、フィンランドが持つ風土、言語、歴史の特徴を見事に背負った世界的な作品が生まれ続けている。西洋音楽の導入において決して先進国ではないフィンランド、シベリウスの時代は日本の明治維新と重なる。この国の音楽文化の歩みは、日本のそれを考えてみるときにとてもたくさんのヒントを与えてくれると思っている。次の10年の関わり方を楽しみにしている自分がいる。

新田ユリ
国立音楽大学、桐朋学園大学ディプロマコースで学ぶ。指揮を尾高忠明、小澤征爾、秋山和慶、小松一彦の各氏に師事。
’90年ブザンソン国際青年指揮者コンクールファイナリスト、’91年東京国際音楽コンクール指揮部門第2位。
2000年文化庁芸術家在外研修員としてフィンランドに派遣。オウルンサロ音楽祭、リエクサブラスウィークに招聘。
クオピオ交響楽団、ミッケリ市管弦楽団、トゥルク海軍吹奏楽団、ラ・テンペスタ、クリスチャンサン交響楽団など北欧各国に客演を続ける。
2005年フィンランド日本友好協会ラムステッド奨学金受賞。日本シベリウス協会事務局長・理事。
公式ウェブサイト「森と湖の詩」http://www.yuri-muusikko.com