ラッセ・レへトネン 一柳氏へのインタビュー

Lasse Lehtonen ラッセ・レヘトネン

ここでは日本の現代音楽を研究しているDr.ラッセ・レヘトネン氏による著作「Japanese Music」(Gaudeamus、2019年)のために行われたインタビュー(2018年9月)からご紹介致します。

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Toshi Ichiyanagiはフィンランドにおいても非常に尊敬される作曲家である。
一柳慧氏は著名な作曲家であると同時に、作曲のみならず、幅広い活動を常に展開しており、ピアニストとして、そして学際的な記述も多い。
また、若手アーティストの海外からの招聘など、ディレクター、プロデューサーとしての活動も見逃せない。インタビュー当日も、一柳氏はちょうど数日前に演奏会とセミナーを終えたばかりで、委嘱を受けた作曲活動にも忙しい。
「私は85歳になりましたが、なぜか全く暇にならず、仕事は増えています。」と一柳氏は笑う。

2020年には東京でのオリンピック後、8月下旬に開催されるサントリーサマーフェスティバルの音楽監督を任されている。

一柳:「フェスティバルでは様々な作曲家やスタイルを発表する機会を作りたいと考えています。
私はメインホールで2つ、小ホールのブルーローズで2つ、併せて4つの演奏会の企画を任されています。」

併せて、このフェスティバルのために4つの新作を委嘱されている。
フェスティバルの主催者側は、日本人であるため、主に西洋の作曲家をフェスティバルに招待する傾向があるが、一柳氏は別の観点から取り組む。

一柳:「現在の日本で何が起こっているのかを強調したいと考えています。芸術と経済にはさまざまな問題があり、私の若いころと比べて、今の若い人々にとって状況ははるかに厳しくなっています。その一方で、今、非常に興味深い時期でもあります。日本には多くの新しい現象が起こりましたが、私は若い作曲家がその現状をどのように表現するか知りたく、今回は日本の作曲家に焦点を当てる予定です。」

一柳氏によると、主催者のサントリーホール側も、これまで行われていないこの試みに大変関心を示している。

一柳氏は若い世代に求めることとして、多様性を強調している。

一柳:「私も彼らから学ぶことを願っています。 彼らは楽器と音のために、大変独創的で新しい表現方法を生み出しています。 多くの人が音楽だけに集中するのではなく、他の分野と協力し、表現の幅を広げることが重要だと思います。 彼らは異なる世代で、完全に異なる社会において、全く新しい考え方を生みだしました。

しかし、若い作曲家には、フリーランスの作曲家として行動することの難しさもあります。 日本の現状は作曲家にとって非常に厳しいと言えますね。
ほとんどの作曲家は大学で講師として働いていますが、賃金は低く、自分自身とその家族を支えるために、多くの人が2つか3つの大学で働き、一番大事な仕事である作曲への時間が少なくなっています。」

西洋と東洋の違いが今日に与える影響

一柳氏は彼の作品や記述の多くで、日本と西洋の違いや繋がりについて議論してきた。例えば、彼の著書「音楽という営み(1998)」では、東と西の違いは確かに日本の作曲家にとって今なお重要なテーマであろう。
一柳氏は1989年に、伝統楽器群と声明を中心とした合奏団「東京インターナショナル・ミュージック・アンサンブル–新しい伝統」(TIME)を組織した。
ますます国際的になりつつある日本において、一柳氏の目にこのテーマはどう映るのだろうか?

一柳:「問題の形は少し変わりましたが、それでもこの表題が重要であることに変わりはありません。アメリカの建築家、バックミンスター・フラーは、『地球の文化はインドに誕生して、一つは風(自然)に逆らい西へ向かった。もう一つは風に乗って東へ向かい、その人類は風と共に文化を作り上げた。その二つがそれぞれ大西洋、太平洋を渡り、アメリカで合流し、第2次大戦後アメリカにおいて繁栄した。』 と語りました。」

文化的矛盾への関心は、米国で何年も過ごした一柳氏の作品にも見ることができる。
例えば、彼は偶然性の音楽からミニマリズムまでさまざまなスタイルで幅広く書いてきたが、彼の世代の日本の作曲家も同様に、「時間と空間」を重要なテーマとして掲げている。彼は日本人だが、自身の教育のベースは西洋音楽にあり、日本の伝統楽器のための作品を書くときには、新しく勉強する必要があると話す。

一柳:「西洋音楽を学んでいる人は西洋音楽が身体に染みていて、逆に東洋の音楽は頭で考え、理解しなければならない。20世紀、二つの戦争を経て、自分たちの文化の考え方を新しい理想的なものにするために、これまでやってきた発想だけではないものに目を向ける必要があると考えます。
科学技術の発展が目覚ましい一方、これはしばしば経済発展と結びついています。技術は手に入れやすいが、同じ比重で精神的なものも大切で、要になるのは芸術であり、双方が同様に活性化するといいですね。そして自分の基盤をしっかり持つことが必要です。」

一柳氏自身は、近年、社会的テーマから、作品を生み出している。交響曲第8番レヴェレーション (2012)は2011年に起こった震災と津波、原子力発電所の災害、そして環境の変化を、そして交響曲第9番ディアスポラ(2014)は離散した民族の意味であり、F(ファ)FukushimaとH(シ)Hiroshimaによって示されるように、福島と広島にテーマを置く作品である。


別の視点からも西と東の違いに言及する。

一柳:「たとえば、ヨーロッパ人、アメリカ人と日本人のやり方は、リハーサルにおいても違いが見られます。
日本人は器用にリハーサル初日から準備よく、上手に演奏します。ただ、アンサンブルが上手くいくと満足してしまい、それから変わらない。 
音楽へのアプローチの違いとして、例えばフィンランドでは15〜20秒ですぐ止めて、少しずつ話し合いながら進むため、一回通すのにかなり時間がかかりますが、日増しに完成度が高まり、最終的には素晴らしい演奏になります。 中国はヨーロッパに近く、具体的です。日本のような不確実、曖昧なところがない。ヨーロッパでは精神的な問題を大切にしていますね。」

一柳氏の著作「音を聴く」(1984)の中でも語っているが、ヨーロッパ音楽とは異なる表現を探している。日本のメロディーやハーモニーを真似るのではなく、作品の中でこの自由さを強調しようと考えている。
また、東西の違いとして指揮者の存在を挙げる。

一柳:「日本の邦楽には指揮者がなく、各自の音を聞きあい、いつも揺れていて、コンクリートではありません。 互いを聞き合い、演奏家は、書かれたものをきっちり演奏するだけではなく、作曲家の奴隷にならないように、自分の音楽を作り上げて欲しいですね。譜面は建築の設計図と比べ、心の問題が出るので、きっちり弾くだけではなく、演奏家が考えることに作曲が触発されることを求めます。そしてもちろん、作曲家はこれを可能にする音楽を書くべきです。」

同じ理由で、一柳氏はリハーサルにおいて、彼の作品を演奏する音楽家たちにあまり細かく指示を与えることを好まないため、「優しい」作曲家と呼ばれることもあるが、彼はそれをやんわりと否定する。

一柳:「人は機械ではありません。間違いもします。しかし、これは理解されるべきであり、私は以前は全て楽譜に書き込んでいたが、今はもっと演奏者の自由に任せるようになりました。」

例えば、ピアノ協奏曲第4番ジャズ(2009)には即興演奏が含まれており、交響曲第9番では演奏者に提示する素材を自由に選択できるようになっている。このように、作品には一柳氏の初期とその後の作風が組み合わされている。

今後の若者と芸術の行方

一柳氏は若い世代の作曲家が自分のオリジナルの表現方法を探して表すことが重要だと考えている。

一柳:「彼らが音楽だけではなく、違う発想で、他の分野との共同作業をすることが大切です。他の分野の人々も同じ気持ちを持っています。同じ分野だけだと、表現の幅が狭くなってくるのです。」

しかし、これには実際的な課題もあり、その1つとして、一柳氏は日本での人口の多さと、個人を支援することへの消極的な姿勢が挙げられると話す。

一柳:「私が若い頃、例えばフランスでは、国家予算の9%が文化に使われ、日本では当時0.1%でした。ドイツでは、ベルリンオペラに与えられたサポートは、日本ですべての文化のために与えられた合計よりも高いという状況でした。 そのため、多くの日本の演奏家や作曲家が海外へ流出しました。
今の日本は、エンターテインメント性を重視し、売れるもので収入を得て、例えばそれを元手に本を出版する。演劇も然りです。有名な指揮者、演劇と関係のないポップ歌手の人気にあやかって、集客するのはアメリカの影響といえるでしょう。
企業もスポンサーにはなるが、パトロンにならない、この認識を改めて貰えればと思います。他の分野の芸術家たちに、ぜひ音楽家とやりたいという環境が生まれてきているので、それをもっといろいろな人に聞いたり見たりしてもらう可能性を広げていきたいと考えます。
1960年代状況は良好で、終戦後、日本では芸術を大切にする機運が高まった時代でした。パトロンと芸術家の距離が近く、援助され自由もありました。」

これが1970年代に徐々に変化し始めたと言う。

一柳:「日本ではマネージャー、プロデューサーなど、音楽家を育てる人の出入りが多く、育たないのですが、この点フィンランドはよりよい環境に置かれているように感じます。」

フィンランドとの関係は、チェリストでクフモ音楽祭創立者のセッポ・キマネン氏からアヴァンティ・フェスティバルへ招聘されたことに始まり、その後、日本・フィンランド新音楽協会を発足しました。

一柳:「フィンランドでは文化へのより高い理解があるように感じます。 フィンランドの人口は少ないかもしれませんが、その一方でそれは強さかもしれません。」

日本・フィンランド新音楽協会はフィンランドと日本の音楽の普及に積極的に取り組んでおり、発足当初より両国の現代の音楽による演奏会と講演会を駐日フィンランド大使館の協力により開催している。
2017年のフィンランド独立100周年記念企画にも参画している。

フィンランドは一柳氏にとって印象深い国として残り、キマネン氏との出会いが多くのことをもたらしたと言える。

一柳:「キマネン氏はチェロ奏者ですが、クフモ音楽祭を設立し、長い間導いてきました。 それは素晴らしいことです。クフモ音楽祭はフィンランドだけでなく国際的にも知られるようになりましたから。」

フィンランドはまた彼のピアノ協奏曲第5番「フィンランド」(2012)にもインスピレーションを与えた。 舘野泉氏が委嘱、初演したこの作品には、シベリウスや民謡への言及など、通常見られるフィンランド的な要素は含まれていないが、作曲家自身のその国のポジティブなイメージに基づいている。 例えば、一柳氏は、文化への支援や核廃棄物処理への投資など、フィンランドが困難な問題を解決した方法に感銘を受けたと言う。

一柳:「ピアノ協奏曲「フィンランド」では筆が自然に進み、作品は普段より早く完成しました。
もちろん、それは私がフィンランドで得た心象から生まれました。私自身、フィンランドの人々の柔軟性のある考え方に興味があります。それは現代の作曲家たちにも見られますが、論理性と柔軟性が一緒に存在します。

国全体で感じたことは、常に現状に対して国民が幸せになれるか、芸術が発展するよう、生活の中で意識して考えているように思います。フィンランドでは「生活」と「作曲」を同じディメンションで捉えている。別々なものではなく、つながったものとして考える。社会がそういう動きをすることが人々に影響するのです。それが私がフィンランドについて最も心地良さを感じた点であると言えるでしょう。」
(フィンランド語翻訳:福士 恭子)

プロフィール

ラッセ・レへトネン(1986‐)
ヘルシンキ大学音楽学・日本学博士研究員。
フィンランド・日本協会副会長。2019年秋より2年間、東京大学教養学部客員研究員。
音楽学者として日本の音楽研究を専門とし、講演活動を行う。
ピアニストとしての演奏活動、コンサートプロデューサーとしても活躍。