フィンランド音楽における「日本」―エルッキ・メラルティンの作品をめぐって

小川 至

フィンランド音楽における「日本」―エルッキ・メラルティンの作品をめぐって小川至〈日本の踊り〉と題された小さなピアノ作品がある。フィンランド人作曲家、エルッキ・メラルティンの手による作品で、知り得る限りフィンランド国内で初めて「日本が主題として書かれた」作品である。これが出版されたのは1905年、日本との外交が始まる14年も前のこと。メラルティンは如何にしてこれらの素材を知り得たのか?2019年、両国が修好100周年を迎えるにあたり、「日本」というキーワードがどのようにしてフィンランドの音楽作品の上に反映されてきたのか、先の〈日本の踊り〉を軸に眺めていきたい。

20世紀の初め、まだ外交関係も持たないフィンランドが日本という「素材」に出会ったきっかけは何だったのだろうか?その手掛かりとなり得る鍵の1つは、19世紀末にヨーロッパの芸術界を席巻していたジャポニズム(日本趣味)にあると言えるだろう。1867年に日本が第2回パリ万博に出展したことなどから大きく火が付いたとされるこのムーブメントはやがてヨーロッパ中に広まり、日本の浮世絵を始めとした様々な題材が西洋美術のインスピレーションの源泉となった。そうした「日本的なもの」に魅せられた熱心な蒐集家がありとあらゆる品物をヨーロッパに持ち込み、彼らを介して多くの人に流通されていくこととなる。ペッカ・ハロネンやアクセリ・ガッレン=カッレラといった同時代のフィンランドを代表する画家たちが学び、規範とした地もまたジャポニズムの中心地であるパリであり、結果として彼らの絵画にも強い影響を及ぼすこととなったのである。
美術の世界では大きな影響を及ぼした日本だったが、しかし音楽においては事情が違ったようだ。同時期に東京大学で生物学教授を務めたエドワード・モースはその著書『日本その日その日』(石川欣一訳)に、音楽においては「外国人の立場からいうと、この国民は所謂『音楽の耳』は持っていないらしい。彼等の音楽は最も粗雑なもののように思われる」と記しており、また同大学で教鞭を執っていたイギリス人、バジル・ホール・チェンバレンも同様に日本人の音楽性には散々な評価を下している。19世紀末、ロマン主義の全盛期を極めた西洋音楽の観点からすれば、日本の歌や琴などの器楽作品の持つ独自性は魅力的には映らなかったのだろう。日本を題材に扱った音楽こそいくつか作られはしたが、その音楽そのものは全く西洋音楽の語法によるものであった。はっきりと日本の音楽素材が用いられたのは、知る限りプッチーニのオペラ《蝶々夫人》が作曲された1904年が最も早い時期に当たるだろう。

さて、「フィンランド初の日本由来の音楽作品」であるメラルティンの〈日本の踊り〉は、《ピアノ小品集 第1巻 Pienoiskuvia I》という8曲からなる小品集の中の1曲である。オペラである《蝶々夫人》とメラルティンの〈日本の踊り〉はその規模においても音楽の内容においても比べるべくもないが、注目すべき点はメラルティンも「日本の音楽素材」を採用していることにあるだろう。僅か17小節、その左手は常に同じ和音を拍ごとに押さえ、使用している和音も2つしかないという簡素極まる音楽だが、そのメロディは日本の音階である五音音階の陽旋法が用いられている。またこの曲集は《蝶々夫人》の翌年に当たる1905年に出版されたが、その作曲年代ははっきりとしていない。つまりこのオペラよりも早い時期に作曲された可能性もあるのである。 
フィンランドにおいてもジャポニズムの波と共に日本の物品の流通が行われており、その当時は大きな百貨店から小さな専門店に至るまで、様々な日本の小道具がたやすく手に入れることができたという。画家のガッレン=カッレラのコレクションの中には陶器や絵画、果ては日本から取り寄せた大きな仏壇まであったというのだから、流通品の中に日本の音楽の楽譜があり、メラルティンがそれに目を通していたとしても不思議はないだろう。それにしても、独立前、北欧のいち地方でしかなかった辺境フィンランドにおいて、メラルティンのこの先見性は驚くべきものではないだろうか。
エルッキ・メラルティンとはどんな作曲家だっただろう。彼は1875年にフィンランドのカキサルミ(現在はロシア領のプリオゼルスク)に生まれ、1937年にヘルシンキで没した。1899年から2 年間ウィーン音楽院でロベルト・フックスに学んだ彼は、シベリウスとはある種対極に位置するグスタフ・マーラーの音楽に深く傾倒した。作曲家としてだけでなく、指揮者・教育者・評論家・画家・哲学者・神学者など、多方面に渡って才能を発揮していた。その音楽的志向も相まって、10歳年長のシベリウスの陰に隠れてしまった感が否めないが、作曲家としての活動も非常に旺盛であった彼は、交響曲の分野でも実に個性的で充実した作品を6つも残しており、未完のものも加えれば9曲に渡る。教育者としても極めて大きな功績を残しており、1911年から1936年の間にはシベリウス音楽院の前身となるヘルシンキ音楽学校の学長となり、アーッレ・メリカント(1893-1958)、ユリエ・キルピネン(1892-1959)、イルマリ・ハンニカイネン(1892-1955)、スルホ・ランタ(1901-1960)、ウーノ・クラミ(1900-1961)といったフィンランド音楽界の立役者とも言える作曲家たちを次々と輩出した。弟子という弟子をほとんど持たなかったシベリウスと比べ、フィンランドの音楽家たちを実質的に育てたのはメラルティンと言っても過言ではないだろう。また興味深いことに、上述した弟子たちの多くが、後年に更なる「日本由来の音楽」を書いている。これを師の衣鉢を継いだとするのは少々大げさかもしれないが、何らかの繋がりを感じずにはいられない。いずれにしても、フィンランド音楽における「日本」は、エルッキ・メラルティンの小さな一歩から始まっているのである。

日本とフィンランドは修好100周年を迎え、〈日本の踊り〉の時代には考えられない程の交流を重ねてきた。かつての「極東の謎に満ちた憧れの島国」から、今や圧倒的な解像度で日本という国を見つめるようになったと言えるだろう。20 世紀の代表的なオペラのひとつである、日本の能楽を台本にしたパーヴォ・ヘイニネン(1938-)のオペラ《綾の鼓》や、東京藝術大学に留学したペール・ヘンリク・ノルドグレン(1944-2008)による小泉八雲の怪談を基にしたピアノ曲や邦楽器による四重奏曲、カイヤ・サーリアホ(1952-)による打楽器とエレクトロニクスのための《6つの日本庭園》、ユハ・T・コスキネン(1972-)による三島由紀夫の戯曲を基にした室内オペラ《サド侯爵夫人》、または明恵上人の和歌を基にした合唱作品《Earth Treasury》など、「日本とフィンランドの融合」とも言うべき作品はその関係性を深めるばかりである。この記念すべき年を通過点として、両国の「修好」がこれからどのような音楽を生み出してゆくのか、興味の尽きぬところである。

エルッキ・メラルティン


付録:メラルティン及び同時代の作曲家による「日本由来の作品」
●エルッキ・メラルティン:《ピアノ小品集第1 巻 Pienoiskuvia I》作品23第5番〈日本の踊り Japanilainen tanssi〉(1904 年出版)
●エルッキ・メラルティン:《24の前奏曲 24 preludier》作品85―ピアノのための第5番〈日本の桜 Körsbärsblom i Japan〉(1913)
●エルッキ・メラルティン:《週末と平日 Pyhä ja arki》作品29―ピアノのための第3番:〈日本の絵画 Japanilainen kuva〉(1924-25)
●ロベルト・カヤヌス(編曲):《日本民謡 君が代 Japanilainen kansanlaulu Kimigayo》(1914)―オーケストラのための
●アーッレ・メリカント:《日本の水彩画 Japansk akvarell》(1918)―声楽とピアノのための詩:エルンスト・ヨゼフソン(スウェーデン語)●ユリエ・キルピネン:《夢と現実 Fantasi och verklighet》作品29―声楽とピアノのための第3番:《日本の水彩画 Japanische Aquarell》(1922)詩:エルンスト・ヨゼフソン、ベルトラム・コットマン訳(ドイツ語)
●レーヴィ・マデトヤ:《L.オネルヴァの詩による5つの歌》作品9第5番《芸者 Geisha》(1911)詩:L.オネルヴァ(フィンランド語)
●レーヴィ・マデトヤ:バレエ音楽《オコン・フオコ Okon Fuoko》作品58 (1925-27)台本:ポール・クヌートセン
●スルホ・ランタ:《日本の水彩画 Japanska akvareller》s(1924-28)―声楽、フルート、チェロ、ピアノのための
1.〈夏の終わり Sensommar〉
2.〈秋の月 Höstmåne〉
3.〈11 月の色 Novemberfärger〉
4.〈富士 Fuji〉
詩:1.藤原家隆、2.大江千里
3.在原業平朝臣
4.山部赤人(全て百人一首から)
アストリッド・グルストランド訳、イダ・トロツィヒ訳(スウェーデン語)
●スルホ・ランタ:バレエ音楽《桜の祝宴 Kirsikankukkajuhla》作品24 (1927/29)
1.〈プロローグ Prologi〉
2.〈巡礼者 Pyhiinvaeltajat〉
3.〈グロテスクな踊り Groteski tanssi〉
4.〈芸者 Geishat〉
5.〈剣の舞 MIekkatanssi〉
[参考文献]内藤孝敏著『三つの君が代 日本人の音と心の深層』中央公論者,1997 年『フィンランド・テーブル―日本フィンランド修好80 種年記念論集』日本フィンランド協会,2000年Korhonen, Kimmo 2007 : Inventing Finnish Music 2nd edition, Finnish Music Information CentreMetsä, Helen 2012 : KIINALAISIA RUNOJA, ARABIAN LUMOA JA TAHITIN UNELMIA, ヘルシンキ大学博士論文Poroila, Heikki 2017 : Erkki Melartinin teosluellelo, HonkakirjaFinland Music Core : https://core.musicfinland.fi/