日本のメメント・モリ
徳山美奈子
大震災から一年があっという間に過ぎ、又春が来た。
「僕にはもうすぐ来るはずの春が、もうなつかしい。」と、作曲の恩師、イサン・ユン
が祖国に帰国しないまま亡くなられる前に言われた言葉を、この季節になると想い出す。
生木を裂くような無念の死に直面した人達、故郷の生活を奪われた人達の心に、なつかしい春はいつ来るのだろう。
そして日本は、いつ来るかわからない直下型地震という目に見えない死の上に、放射能に侵された身体でゆらゆら立っている。根詰まりを起こした植物のように日本の根はとぐろを巻き、水をやっても後は枯れるのを待つしかないかのようだ。
根が腐らない内に新しい土にしてやらなければならないのに、庭師たる政治家達はまるでスコップの取り合いをしているようだ。このおじさん達は権力と縄張り争いを繰り返すことのみに終始し、がれきの最終処理も未だ5%といわれる。(2012年2月21日現在)
日米開戦と終戦時に外務大臣だった東郷茂徳(彼は戦争回避に全力を尽くしたが報われず、戦後A級戦犯として禁錮刑を受けた)が詠んだ歌
<この人等、国を指導せしかと思ふ時型の小さきに驚き果てぬ>
に古さを感じないのは政権交代後の政治のせいだろう。一番泣いたのは「型の小さき」を知らず、ひたぶるな思いで戦った国民と戦場にされたアジアの国に尽きよう。(朝日新聞2011.12.8天声人語)
権力を手にした<型の小さきもの>の為に、数知れぬ若い命が散った歴史を繰り返すかのように、原発事故でも又再び、多くの人間の将来を奪おうとしている。
いい人、優しい人、真面目な人、責任感の強い人、そして子供と高齢者、いつの世もあくなき権力を求める強者の影に、多くの弱者が犠牲になる。
メメント・モリ(死を想え)と、早鐘のような警告が心の中で聞こえる。
<不思議に思うこと>
しかしながら都心のデパートでは暑いほどの暖房が利き、閉店時に売り切れなかったケーキやお惣菜が山ほど残る。週末も休みなく売れ残るこのご馳走は、一体何処にいくのだろう。私は1980年代に暮らしたベルリン(旧西独)を思い出す。土曜日の午後からは完全に店は閉まった。だから土曜日の昼前までは週末の買い物客で込み合ったが、その後は街が静まり返り、教会の鐘の音がことさら街に響き渡った。経済大国でありながらも、ドイツの都市に規則的にあった<静けさ>。それが東京には無い。フィンランドは<静けさのデザイン>ともいうべき、自然による静けさが都市と暮らしにデザインされている。東京は選挙前になると、住宅地に「最後のお願いに参りました」と選挙カーが叫ぶ。ベルリンなら窓から「RUHE(黙れ)!」と怒鳴られ、間違いなく落選するだろう。エネルギー節約と言いながら至る所に垂れ流しの商業音楽が溢れ、コンビニは24時間電源を付けっ放しにしている。
不思議に思うのは一方で、休んでほしくない病院が週末にはきっちりと休む。インフルエンザの季節になると、親が高熱で苦しむ子供を病院に抱え込むようにして連れて来るので待合室はそんな親子で一杯だ。昭和の時代、お医者様と看護婦さんが家に来てくれた「往診
はなぜ復活しないのだろう。休むべき所が休まず、休むべきにあらず所が休む。
そして今日も明日も、人々はアイポットのイヤフォンで耳に蓋をして満員電車に乗る。
<教育と少子化のもつれた紐>
「なぜ日本では子供が夜の「JUKU(塾)」に行かないと良い中学校に入れないの?」とベルリンの友人が訊ねた。JUKUはもうドイツ語らしい。その塾の費用や私立中高一貫に進学した場合の費用を言うと天を仰がれる。もっと彼らが驚くのは中学受験の為に進学塾に通う子供達が夜遅く電車に乗ったり、親が車で送迎する風景だ。冬休みも夏休みも毎日JUKUに行くのだと言うと又びっくりする。確かに日本の教育費は不当に高い。「不当に」というのは教育費が高いので経済的理由から大学進学をあきらめる高校生も多いからだ。けなげな日本の親は学資保険や貯金をして我が子の為には教育費を捻出するが、不況にあおられ退学を余儀なくされる高校生も増えている。
「将来の子供達の為に今すぐ増税を」と政治家は叫んでいるが、本当に福祉として反映されるのかが問題だ。子供の喧嘩にも劣る国会中継を見ていると、このもつれた<教育の不平等>という紐をどこまでほぐせばいいのか。ほぐす我慢ができず、維新だと叫んでシステムを変えるのは、切れた親が怪我の痛みに泣きやまぬ子を地面に投げ落とすような幼稚さがある。しかしもっと恐いのは、それに身を任せる都民市民の数の多さである。
出産費用も然り。当然フィンランド、ドイツは共に無料である。では日本はというと、健康保険適用額の個人差はあるが、妊娠から出産まで約50万円かかる。私が生まれた昭和33年で<男の給料一カ月分>と考えられていたと言う。出産費用と教育費用がこの状態では少子化への歯止めはスタートラインにも立っていない。なぜなら無料のドイツでさえ、子供を欲しがらない若者も多いからだ。ベルリンでも「子育ては大変だから犬を飼うか車を買う」と言う若者たちをエゴイストと大人達が怒った事がある。日本でも「高度成長期に夫を支えるだけだった自分のような人生を娘にはさせたくない」と母親が娘を育てた結果、結婚しない女子が増えた。それもさることながら、パソコンや携帯電話等、電磁波にのべつまくなしに触れているというのはどうしても、精子と卵子を弱らせているとしか思えない。
植物の鉢をテレビの上に乗せると日当たりなどが良くても弱るという。フィンランドは電磁波が身体に及ぼすストレスを森や湖の自然が癒してくれる。IT大国でも人間の心身をいびつにさせない、まことに羨ましい環境である。
<「SISUに学ぶ時>
フィンランド精神、「SISU(シス)
を日本語にするのはフィンランド関係の方に聞いても難しい。
厳しい冬を乗り越える為にはあきらめない意志の力。1917年にフィンランドが他国の圧政から独立するまでの苦難の歴史の間に培われたフィンランド魂といえる。
1940年代フィンランドは日本と同じく敗戦国だったが、初代大統領マンネルハイム将軍が「子どもは国の宝、教育こそが国を建て直す」を理念に平等な教育の礎を作った事が現在にも受け継がれている。
PISA(学習度到達度調査)でフィンランドの子供達の学力が殆どトップだったのは周知の通りだが、この成功の秘密は「教師に対する教育の高さ、つまり教師力が評価された事にある」と、ヴァイオンマー学校のイスモ・ファルク校長は言う。更に彼の視点の高さは次の言葉に伺えよう。
「PISAの結果が良く出てしまった事が、もうこれ以上学校教育に重点を置かなくても良いという幻想を生み出してしまったと思っている。PISAの結果はここ10年に取り組んできた結果なのである。」
「学校教育の結果が現れるのは何年も経過してからの事である。政治家達はむしろ結果が早くわかるものに重点を置くことになる。万が一20年後、良い学校教育政策のおかげでよい結果が現れたのだと誰かが思ったとしても、その決定をくだした政治家は、おそらく政治の世界で、いい仕事をする人として生き残っていることはないはずである。」
(『フィンランド・テーブル』第2集 社団法人日本フィンランド協会)
この校長先生の発言を読むと政治家は万国共通の感ありだが、日本の「ゆとり教育」から一転、下層だけを増やす「留年制度」へと振り子が振れるのは、グローバルと称しての早期英語教育が、戦前の敵国語禁止教育と同じ原理のようで胸騒ぎすら覚える。
ファルク校長は言う。「社会が動く時、つまり変化する時は、一般に最極端からまったく反対方向へ動く」と。ちなみにドイツの大学のジャーナリズム専攻学生はラテン語と古代ギリシャ語が必修と聞く。英語は学問ではなくツールであり、漢文や古文、現代文に小論文と、アジアの一国としてのアイデンティティも同時に強化しないと本当の教育とは言えまい。
このままでは業務用英語の堪能な日本人は増えるが、首都も地方都市も至る所ユニクロやチェーン店、大型商業施設のみの同じ風景になり、商店街は姿を消すだろう。日本古来の螺鈿細工等、伝統美の後継者はいなくなる。SISUならぬ<日本死す>であってはならない。
フィンランドのリーダーシップを握る女性の一人、リーッタ・ウオスカイネン前フィンランド議会議長の言葉を引用する。
「ITは技術であり手段に過ぎません。私は世界があまりに均一化してしまわないように、例えば日本人はより一層日本人であって欲しいし、フィンランド人もフィンランド人で在り続けて欲しいと心から願っています。こうした異なった人々が協力し合い、影響し合う事の素晴らしさを強調したいのです。現在世界中に広がりつつある特徴のない文化、それが音楽やその他の分野でも強く感じられます。例えば私の中の伝統は多く母から受け継がれたものです。恐らく女性の方が男性よりも、より多くこうした伝統を次の世代に受け渡してゆく役割を担っているのではと考えています。」
さらに男性への注文も続く。
「仕事と家庭の両立は何時でも大変に大きな問題です。私の場合は子供は一人だけでしたが、社会的に活躍している女性で沢山の子供を立派に育てた方を何人も知っています。この場合例外なく男性のサポートがあることも事実です。要は男性の理解が一番の鍵になるという事です。それによって男性の尊厳が損なわれると考えた事はありません。こうしたことを理解できる男性が多いからこそ、私はフィンランドの男性も強いと申し上げたのです。」(『SISU』vol.2 フィンランド大使館)
この事から、日本は男性原理の上に高度成長があり、男性原理の上に教育と出産の在り方が決められてきた部分が多いと思えるのだ。今こそ女性原理で、母親が子供を愛するような我慢強さで、もつれた紐をほぐしていくべき時だ。男性はいよいよフィンランド流に強くあってほしいと願う。
<失われた静けさを求めて>
「樫の樹」とたたえられるフィンランドが生んだ大作曲家シベリウスの言葉、
「作曲するのにピアノは要らない。要るのは自然と静けさだけだ。
今もフィンランドの国民は「フィンランディア」を聴くと起立するという。歴史の中で苦しい弾圧の時代に作曲されたこの曲は第二の国歌とも言われる。君が代条例でむずかっている国が恥ずかしくなる。ドイツ統一の1990年10月3日、私はベルリンにいたが、街の至る所で普段はクラシックなど知らないような若者達が第九を聴いていた。音楽が歓びの嵐のようにベルリン全体に吹いていた。そんな曲が何故日本には無いのだろう。高度成長の騒音にかき消されたのだろうか。
音楽は中世の昔から西洋では「楽器による音楽」の他に「身体の中の音楽」そして「天体の音楽」があると考えられた。最も根源的な「天体の音楽」を身体で体感できるフィンランドの人々。都会でいると孤独なのに、白夜の空の下や森の中では一人でいることが豊かで充たされる。自然と溶け合い、自分が無になった時に、森の樹々に宿り、湖に宿る魂と一体になれる。死者と共になれる。その時にこそ霊感といわれるものが降りてくるのではないか。現代音楽があまりにも身体性、原始感覚から大きくそれてしまった今、自然を失った日本ではもはや自然との一体感は望めないのかと悲観していた。そんな折、「千年の響き」という雅楽のコンサートを聴いた。日本のはじまりの音楽、雅楽の響きの中に聴こえたこの国の静けさ。沈黙の地平線のかなたにある、沈黙よりもっと静かな「音による静けさ」が、千年の人間の営みのかなしみとなって現れた。
日本に自然と静けさはあったのだ。その中にこれからの音楽の先端が潜んでいるのを、作曲家は見出していかなくてはならないと思う。祈りをもって。