静けさ・・の風景
越智淳子
年末年始の休暇を利用して日本に帰国していた私が、在勤地のヘルシンキの空港に戻った早朝は、気温がマイナス20度と機内アナウンスが告げていた。駐車場に留めていた車は、白く凍てついていて、やや抵抗のあるドアを開けると薄い氷片が飛び散った。空港から屋外の高速道路に出ると、風景全体-夜明けたばかりの空、点在する家々、林、道路―すべてが透明な青に染まっていた。疾走する車のフロントガラスめがけて雪ではない、氷の粒が飛んできては八方に散る。深い青から、だんだんと明るみを増してくる中で、氷の粒はキラキラと前方の空いっぱいに輝き始める。青は、微妙にしかし確実にグラデーションで変化していき、まさに色とりどりの青を展開していく。その美しさは長旅で朦朧としていた私を覚醒させ、心底感嘆させた。そして、その忘れがたい美しさは、車の疾走音も消し去った不思議な静けさに満ちていた。・・この美しさがあるから、人は酷寒の地にも生きられる・・そんな想念が、感嘆のあとにつづいたのだ。
今、EUの経済状況がグローバルに注視されている中で、フィンランドは、ドイツやオランダ等とともに、健全な財政とされ、格付けも降下されていない。フィンランドは、12世紀から19世紀までスウェーデンの支配下にあって、ナポレオン戦争で帝政ロシアの大公国となり、ロシア革命時に独立を宣言し、その後につづく内戦、多くの犠牲者を出したソ連との二度にわたる戦争、第一次大戦、第二次の両大戦とも敗戦国になるというきわめて困難な状況で戦後を迎えた。そして東西冷戦期、ヘルシンキでは米ソの大使館が隣接している状況で、NATOには所属しないが、西側陣営という絶妙のバランスをはかる独自の外交政策を貫いた。日本とほぼ同じ頃1970年代に経済成長を遂げ、今では、ノキアやリナックスのようなハイテク産業をグローバルに展開させている。現在のフィンランドを思うと、これまでの幾多の困難も忍耐と努力で報われたように思えてくる。しかしむしろ、フィンランド人は、今も、困難は常に隣り合わせにあるという覚悟を国民的に共有しているからこそ、あわてず騒がず、忍耐しつつ努力するという人的な持続可能性を備えているように思えるのだ。この資質は、まさにこれからの21世紀の指針にもなるのではないか。ヘルシンキで住む家さがしをしていた時、必ず食料や生活財の備蓄倉庫に案内された。戸建もアパート建てでも、一戸毎に完備していた。これも、困難な時を想定している良い証拠だろう。昨年の震災、津波、原発事故を経験した後では、あらためてそのことを印象的に思い出す。
ヨーロッパで、英国、ノルウェー、ハンガリーを在勤した後で、フィンランドに赴任した時、季節が冬ということもあったろうが、フィンランド人の静かさ、いわゆる、おとなしさに驚いた覚えがある。ヨーロッパ人といっても、多様だな・・と思ったものだ。住まいは、ヘルシンキの中心に近い、スウェーデンクラブがある公園に面したマネシカトーの角部屋に決めた。ホーヨイストラータ通りの車道の向こうは自転車専用と歩行者専用通りがそれぞれあり、そのすぐ先が海で、たくさんのヨットが係留されていた。また、さらに遠い埠頭には、二艘の大きな砕氷船が夏中停泊していて、冬には仕事中で姿を消していた。通りは朝夕の通勤時や週末は行き交う人が多く、特に週末は窓から道ゆくさまざまな人々を眺めるのが楽しみでもあった。ヘルシンキの住民で一人暮らしが50%を超えたというニュースを聞いた後、そういえば、なるほど、散歩する人々、サイクリングやジョギングする人など老若男女、圧倒的に一人が多いことに気がついた。一人で歩くせいか、大勢の姿はあっても、騒々しさは全く無い。静かといえば、フィンランドのテレビを見るアナウンサーのたたずまいが、そう確か80年代半ばまではあったNHKアナウンサーの、静かで落ち着いた品性のある様子と酷似していて、思わず笑いながら、似た者同士のような懐かしさを感じたものだった。
北欧諸国の中で、ノルウェーとフィンランドは、近代ナショナリズム、民族自決の国家として独立した点で、平等、民主、自由、向上心といった近代主義に建国の基礎があることは明らかだ。例えば、アテネウム美術館でみられる絵画・・「カラスと少年」や小さな棺を船に載せて運ぶ悲しみの家族の肖像、窓辺でおさげ髪の娘に文字を教える農夫の父親・・といった人物像は、英国の城に飾られている貴族の肖像とは明らかに異なる「近代」がある。ヘルシンキの街並みも、そうした十九世紀の近代主義的印象をたたえながら、また同時に近代を超えるポスト・モダンの表情も見せているのが面白い。救国の英雄、マンネルヘイム将軍像の近くに建つヘルシンキ現代美術館(キアズマ)は、特に夕暮れから夜の外観が面白い。吹き抜けの階段部分がガラスで覆われ、そこだけ明るく照らし出される。階段を昇降する人々の姿が一瞬、静止して見え、その光景自体が静かな作品と化すのだ。そして、自分が館内にいて階段を利用する時、自らの姿を含めた光景が容易に想像され、その瞬間、私の視点は外部に移動している。キアズマ(視点の交差点)と名付けられた意味を、メルロー・ポンティの視点の哲学を実感する思いになる。
独立時の民族的情熱を「フィンランディア」で掲げたシベリウスに代表される音楽的伝統と静けさの感性もまた現代につづいている。フィンランド人の音楽家から、フィンランドには人口の割に音楽家が多すぎると聞いたことがあるが、それは音楽文化の層の厚さと広さを物語るだろう。岩盤をくりぬいて造られたテンペリアウキオ教会は、静けさを湛え、かつ現代的だ。そこでクラシック、ジャズ、現代音楽、そして日本の僧侶による声明までも聴いた。声明が終わって、ふと見上げた先に星空が見えた。その静寂・・もまた、その空間を進む時の流れとして表現されていた。そしてその静けさは、より深い思索へと導いていく意志に似た強さも感じられた。日本の文化的、美的感性にも、この強さを秘めた静けさは、ずっと継承されてきたはず・・と思えた。
越智淳子
早稲田大学第一政経学部卒。フリーランスジャーナリストとして毎日新聞出版部、政治部などで仕事の後、ジャパンエコー社(英文出版社)勤務。1980年外務省入省と同時に在シカゴ総領事館にて広報文化を担当。以後、在外勤務では英国、ノルウエー、ハンガリー、フィンランドの日本大使館で広報、日本紹介、文化交流に携わる。海外での日本文化紹介事業としては最大規模のジャパンフェスティバル1991(英国)に一貫して関与し、ノルウエーでは、オスロのウルティマ現代音楽フェスティバル日本特集の実現に関与するなど、各国で伝統文化から現代作品まで日本文化を幅広く紹介してきた。外務本省では、国際報道課、西欧第二課、人権難民課に勤務。国連環境計画(UNEP)国際環境技術センター(IETC)上級審議官(2003~2005年)。在ポートランド日本総領事館を最後に外務省退職。その後、ポートランド州立大学国際客員講師、ハーバード大学ウェザーヘッド国際問題研究所日米関係プログラム研究員(2009~2010)。現在、早稲田大学アジア研究機構アジア・北米研究所客員研究員。国際交流、文化交流に関し、講演、助言、協力等を行っている。