懐かしい国
辻井 喬
なぜフィンランドという国の名前が私に懐かしい気持を引き起こすのか、その理由を考えてみた。
私は一度しかフィンランドに行っていない。それも、首都ヘルシンキとその周辺を三日ほど廻っただけである。北極圏に近いクーサモまで行ってみたかったのだが、どんなに急いでも一泊二日はかかりそうなので残念ながらその時は訪問を諦めた。
しかし、ヘルシンキ周辺を廻るだけでも、フィンランドは森の多い静かな国であることが分かる。
歴史を調べてみると、北欧の強国であるスウェーデンと大国ロシアに挟まれて、人種的、文化的差異に脅かされながら、小国としての悲哀を経験してきたフィンランドが独立国になれたのは一九一七年、ロシアに革命が起こって帝政が姿を消し、ソビエト体制が出来、第一次世界大戦のヨーロッパ全域での新しい平和な国家間の関係が作られた結果であった。
それは第二次世界大戦の結果生まれた東西冷戦体制に勝利して世界で唯一の極になったアメリカと、市場経済方式を導入してから、驚くべき早さで十三億の人の上に新しい経済大国を作った中華人民共和国に挟まれて、これからいろいろと苦労しなければならない近未来を想定できる日本にとって、他人事ではない歴史の道ゆきのように私には思われる。
公用語が未だにスウェーデン語とフィンランド語の二つであることを見ても、フィンランド国家の苦労とソビエトロシアの強圧を健気に躱しながら独立国としての立場を守ってきた指導者の苦労が思いやられるのである。
その際、生まれて間もない小国の統一と誇りを形成してきた力は、人々の文化的伝統、自分たちの歴史についての明確な認識だったように私には思われ、その中心に国民的な英雄の感がある音楽家シベリウスが位置しているような気がするのだ。
もっとも、彼についてはたくさんの人がすでに語っており、音楽史のなかの位置付けも彼ほど明確な音楽家はいないのではないかと思われる。そこでただひとつ、彼の活動が二十世紀初頭におけるロシアの圧力に抗する国民的な運動の一環として行われたことを指摘しておきたい。そうした時代の空気の中で後期ロマン主義とフィンランドの音楽的伝統がシベリウスのなかで結合したというべきだろうか。
音楽ばかりでなく二十世紀芸術には、フィンランドの叙事詩『カレワラ』を中心とする数々の伝承作品が影を落とし、そのことが作家ヴァイノ・リンナの活動に見るように世界に通用する『無名兵士』『ここ北極星の下で』のような文学的結実をもたらしたのであった。
ここで私たちは、音楽であれ、絵画であれ、民族的伝統に根ざした作品がなぜモダンであり得たのか、という問題の前に立たされる。それに比べ、わが国におけるモダニズム芸術の場合は、民族的なもの、伝統的なものから離れることによって世界に通じる現代性を獲得すると信じられてきたのはなぜなのか。
ここには、歴史の歩み、変化に対する東洋と西洋の違い、とでもいうようなものがあったのだろうか。私にはそれは洋の東西に起因する差異ではなく、日本という国が置かれた歴史社会の時異性によってもたらされたものだという気がしてならない。
フィンランドにとって近代、現代とは自国もそのなかに在りながら、スウェーデン、ロシアによって脅かされる文化の総称であった。
一方、わが国場合は、近代、現代文化はアジアで一早く外から取り入れることが可能になった、進んだ文化なのであった。モダンをわがものにするために、伝統は否定されなければならない。従ってそのような「進歩」に対抗するための伝統は、いきおい現代性を無視した〝伝統〟になっていった。これはわが国のモダンについても、伝統文化にとっても不幸なことであった。
多くの日本人がフィンランドという国を訪れて懐かしい感じを抱くのは、妙な表現になるけれども、在るべきモダンについての既視感を建築や、町の佇まいや、いろいろなもののデザインのなかに発見するからかもしれない。
首都ヘルシンキに見られるアールトが作った建築は〝北欧のモダニズム〟と呼ばれている。その上、この国の建造物はその多くが自然との一体化を当然の前提にしているようにも見える。周知のようにこの国の自然は森と湖によって象徴されているが、その中に建つ教会の多くは木で造られ、大学も図書館も市庁舎にも、石と木が用いられていて、わが国の都市のように互いに自らの感性を目立たせようとした結果生まれてしまった雑然とした趣はない。
こうした面では、ユーラシア大陸の両端に位置しながら、両国は文化芸術の諸相については異なった表情を見せることになってしまったと言えるのかもしれない。
辻井 喬 (つじい たかし)
詩人・作家。本名堤清二。1927年東京生まれ。1955年に詩集『不確かな朝』を刊行以来、数多くの作品を発表。2006年に第62回恩賜賞・日本芸術院賞を受賞。日本芸術院会員、日本ペンクラブ理事、日本文藝家協会副理事長、日本中国文化交流協会会長。
主な詩集に『異邦人』(室生犀星詩人賞受賞)、『群青、わが黙示』(高見順賞受賞)、『鷲がいて』(現代詩花椿賞、読売文学賞詩歌俳句賞受賞)、『自伝詩のためのエスキース』(現代詩人賞受賞)、また小説に『いつもと同じ春』(平林たい子文学賞受賞)、『虹の岬』(谷崎潤一郎賞受賞)、『沈める城』(親鸞賞受賞)、『風の生涯』(芸術選奨文部科学大臣賞受賞)、『父の肖像』(野間文芸賞受賞)、評論・エッセイ集に『新祖国論』がある。
近著に詩集『辻井喬 全詩集』(思潮社)、小説『茜色の空』(文藝春秋)、回顧録『叙情と闘争』(中央公論社)、紀行『古寺巡礼』(角川春樹事務所)、詩論集『生光』(藤原書店)、対談『辻井喬&山口二郎が日本を問う』(共著/平凡社)、『世界を語る言葉を求めて 辻井喬×宮崎学』(毎日新聞社)、評伝『司馬遼太郎覚書』(かもがわ出版)、エッセイ集『流離の時代』(幻戯書房)など。