雑記

清水まこと

50年前の中学生時代から付き合っている友人の父親が当時、吉祥寺でジャズ喫茶を営んでいた。営業形態と場所が変わったが現在もつづいている。
中学生時代に息子の友達ということで、そのジャズ喫茶に出入を許されていた。そこに出入りしはじめの頃に聴いた音(曲)が強烈で今でも思い出すことができる、”We Insist(1960)マックス・ローチ”後にローチの妻になるアビー・リンカーンとのドラムスとボイスのデュオ、中学生の自分には理解できる範疇を超えていが、後に人種差別に対してのステートメントジャズと知り全てを理解できなかったが、きっと大人に混じり分かったふりをしていたと思う。このアルバムのサブタイトルが”freedom now suite・(組曲,自由)”と記されている。
ジャズでは、アルバムタイトルそのもが”Free Jazz(1960)オーネット・コールマン”がある。このアルバムは当時一般化してきたステレオオーディオシステムの右左それぞにカルテットが組まれレコードの両面が連続した即興演奏(インプロゼーション)で構成されている。このアルバムも初めて聴いたときは、強烈な音の羅列と音量に圧倒されてしまった。このアルバムからフリージャズと言うカテゴリーの名称が導かれたようです。私自身もフリージャズや現代音楽に興味を抱くきっかけになったのがこのアルバムでした。アルバムジャケットにジャクソン・ポロックのポアリング(ドロッピング)の作品がデザインに使用され音の即興性・抽象性をイメージさせている。
もう一つの忘れられないジャズ体験として、1973年に来日したジャズピアニスト、セシル・テイラーのライブがある。ソロピアノの即興演奏中突如ピアノから離れパフォーマンス(ダンス)をはじめた。決して滑らかな動きではなかったが、パフォーマンスの視覚性よりも音の延長の感覚(見えない音)を体験した。その場の聴く側にいた人間はそれぞれに個別の「見えない音」を体験していたと思う。
この感覚を明確にしたのは、ピアノでのジョン・ケージ作曲「4″33’」の2度目を体験したしたときで、ピアニストとピアノそして時間、確実に見えない音(曲)を何となく居心地悪く体験をした。演奏者、聴衆、時間と場所を共有したコンサートで,参加した全ての聴衆がそれぞれ異なる音(曲)の体験をする、聴く側の強制された自由の難しさを経験した。ケージはこの曲で「音・演奏・時間」の無化(オブジェ)を試みたのでは、しかし受け手側はピアニストとピアノが構成する記号を前に不安と雑念に襲われ、なんとか音を紡ぎださねばならない。抽象行為(無)を具象化(有)する。ケージは受け手側にこの行為を強いることを自身の作曲の中に含んでいたのだろうか。ちなみに1度目の体験は、活字では心得ていたが現実には対応しずらかった、作法を知らず茶席に紛れこんでしまった感じだった。
 
僕自身の「前衛・実験芸術」好みは吉祥寺のジャズ喫茶からスタートし、音楽だけでなく全ての芸術に広がって行った。60年代後半は街に訳の分からない「前衛・実験」がゴロゴロしていた。
音楽・映像・造形・パフォーマンス・詩・演劇など、何でもありの一過性オンパレードのようであり、実験演劇などは狭い場所に詰め込まれ途中で抜け出すことも出来ず我慢大会のような経験をした。またこの時期は学園闘争絶頂期で、全学連及び各セクトのデモの隊列や行進に各派それぞれの個性があり、自分だけかも知れないが実験的な群舞のパフォーマンスとして見ることができた。
自身では実験映像作品を16ミリフィルムで制作し、青山にあったVAN99ホールで行われた映像祭で上映した。実験映像と書いたが、実験と言うコトバを使うような作品にはならなかったが、中原祐介さんが褒めてくれた。
この作品で映像とは別に試した事がある。赤瀬川原平さん「千円札裁判」で”君が代”を何倍かの速度に延ばした音を法廷で流し、それでも”君が代”になるか検証したことを耳にしていた。
(当時も聞き伝えで、今回もインターネットで調べたが確証できなかった)
上映前の騒がしかった会場の照明を落し「引き延ばし君が代」を流しはじめた、それまでの騒音の場が一気に鎮魂の静寂な場のように変化し「引き延ばし君が代」は完全に”君が代”ではなくレクイエムのようになり、試みは成功した。

大げさかもしれないが、ロシアアバンギャルドから繰り返されてきた抽象への挑戦など現代芸術の様々な改革と実験は、80年代を前にし、もはや様式や型式として固定化してしまい実験の歴史も終焉したのではと思われる。2000年代を迎えた今日もITとの関わり以外、芸術の新しい価値観が見いだされていないのでは。
 
プロフィール Macoto SHIMIZU
デザイナー・造形作家
1947年東京生 桑沢デザイン研究所卒

2012

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