複数視点を開示する音楽/実践

北條知子

「実験音楽とシアターのためのアンサンブル」は、2009〜2010年に四谷アート・ステュディウムで開講されていた足立智美(パフォーマー/作曲家)のワークショップの生徒を中心に、2011年春に結成した。ケージ以降のフルクサス、スクラッチ・オーケストラ、ミニマル・ミュージックから現在に至るコンセプチュアリズムとミニマリズムの系譜の検証と再創造をおこなっているアンサンブルである。メンバーの専門は多岐にわたっており、クラシックや現代音楽、ポップスを基盤に活動する作曲家や演奏家/パフォーマーをはじめ、演劇、美術、詩など音楽を専門にしていない者もいる。これまで、3回の自主公演や、一柳慧作曲の”sapporo”(1962)を会場の内外で9人の演奏者によって44日間演奏し続けた展覧会『”sapporo” around the world』(トーキョーワンダーサイト本郷、2012)の企画/演奏/展示など、コンサートの枠組みにとらわれない、ジャンルを跨いだ活動もおこなってきた。
 
アンサンブル名にもある「シアター」は、日本語では「演劇」と訳されることが多いが、ここでは「演劇」のことではなく、「音楽が聴覚から視覚へシフトし、音楽の持つ複数性が開示される 注1」ような事態を指している。「音楽を聴く」という行為は、純粋に演奏家が奏でる音だけを聴きとることではない。音楽作品の一部として認識していないだけで、実際には舞台上の演奏者の動きを見たり、演奏とは関係のない意図しないノイズを聞いたりしているはずだ。ジョン・ケージのよく知られた作品である『4分33秒』—-作品のなかで演奏者は一音も音を出さない—-は普段、知覚していても意識にのぼらなかった要素(見ること、演奏には含まれないけれど確かに鳴っているノイズを聞くこと)を前景化させる。「シアター」においては、作曲家の書き付けた音楽=演奏者の奏でる音だけを正確に伝達する/聴き取るのではなく、一つの枠組みの中に様々なものが分ち難く同居し、異なる位相を排除し合わない、複数的な視点が可能になる。
 また、このような視点の転換を促す音楽は、伝統的記譜法に代表的な「出されるべき音そのものを記述する」方法ではなく、「音を生み出す行為の記述」が採られることになる。アンサンブルが扱う作品の多くは、テキストのみのもの、数字を用いたもの、図形を用いたものなど、作品のコンセプトに合わせて記譜の仕方が変えられていることが多い。そしてその都度、スコアと生み出される演奏との距離や関係性も大きく変化していく。

ここで、2012年10月31日(水)に新宿文化センター小ホールでおこなった第三回自主公演で演奏した曲からいくつか例を挙げながら、シアター的な要素を持つ音楽の特徴や、実際に演奏する際の問題などに触れてみたい。
音よりも視覚的要素に重きを置いた作品として、ジョージ・ブレクトのドラマーのための小品集”For a Drummer, Fluxversion”がある。この曲はテキストによるインストラクションだけで構成されており、以下のような前置きがなされている。

「これまで決して叩いたことのない何かを叩け。これまで決して叩いたことのない何かで叩け。

(Drum on something you have never drummed on before. Drum with something you have never drummed with before.)
※画像は「For a Drummer, Fluxversion2の演奏風景」 ©shu nakagawa
 
ここでは、叩くものや叩かれるものへの言及はあるものの、実際にそれをどう演奏するかの指示は一切なされていない。コンサートで演奏した”For a Drummer, Fluxversion2″(1966)においても、羽毛枕の羽を外に出すためにスティックを用いて叩けという旨の指示だけがなされており、どのような「音」を出すかは規定されていなかった。そのため、この作品においては枕から出てくる羽の音を聴くだけではなく、何の変哲もない枕から徐々に羽が飛び出してきて、次第には羽でドラマーの姿さえも見えなくなる、という変化の過程を目で見てはじめて意味をなす。
また、同じくフルクサス作家の塩見允枝子の”Boundary Music”(1963)は、ブレクト以上に指示が曖昧化している。テキストで書かれた楽譜によって示されるのは、演奏者がつくりだすべき「状態」のみである。

「音が音として生み出されるかどうかわからない境界の状態をつくるために、できるだけかすかな音を出せ。パフォーマンスには、楽器、人間の体、電子機器やその他何でも使用できる。」

ここでは、演奏の目的「音が音として生み出されるかどうかわからない」ような「境界の状態」を作り出す)と、その目的を果たすための具体的な方法(演奏家が自由に選んだもので「できるだけかすかな音を出」す)は明確に示されている。しかし、実際に演奏しようとすると大きな壁にぶちあたる。それは、「できるだけかすかな音」を一体どのように作り出すか、という問題である。例えば、何気なく行っている呼吸もかすかな音と呼べるし、何か楽器を用いて音になるかならないかのかすかな音を出すことも可能だろう。しかし、これらは自身がコントロールすれば容易に音量を調節できてしまう状況であり、「(演奏者の意思とは逆に)音が出てしまう(かもしれない)」可能性を感じさせず、曲が求める「境界の状態」の創出にはふさわしくないとも言える。そのため、今回の演奏では、「気をつけないと予想外の(大きな)音が出てしまう状況
を設定することにした。具体的には、トランプを立てて積み上げる(失敗するとトランプが倒れる)、笛を吹いている人にマッサージをする(凝っていると思わず力み、息が入って音が出る)、脚立の上にジェンガ 注2 を置き、組み合わされた長方形のパーツを一つずつ抜いて行く(失敗するとジェンガが床に崩れ落ち、かなり大きな音が出る)など、どれも完全にコントロールすることは難しいものだ。そして観客は、音が出るか出ないか定かではない境界の状況の中で、失敗したときに生じる音を脳裏に思い浮かべながら、たまに聞こえるかすかな音を聴くことになる。

公演では、他にも、椅子、テーブル、ベンチなどを引きずって音を出すラ・モンテ・ヤングの”Poem”(1960)、数学的なシステムを用いて構成された数字を2人の演奏者が読み上げるトム・ジョンソンの”Counting Duets”(1982)、楽譜を見ながら演奏する奏者と、楽譜を見ていない別の演奏者がユニゾンで弾けるまで何度もやり直し、間違えた回数によって照明の調節、ドアの開閉などが行われる池田拓実の”in sync”(2012)など、国籍も年代も作風もバラエティーに富んだ作品が集まった。※画像は「Boundary Musicの演奏風景」 ©shu nakagawa
実験音楽は、用いる素材の選択の幅があり最終的な出音への指示がなされていないことで、演奏者ごとに全く異なる解釈を生み出す自由を持つ。しかし、多様な演奏方法が可能だからといって、好き勝手に演奏していいわけではもちろんない。演奏者自身が、数多くの考えうるリアライゼーションの中から一つの方法を選び出すとき、そこには何らかの根拠を必要となる。「従来の音楽とは異なる、ちょっと変な音楽」という認識をされがちな実験音楽だからこそ、一つ一つ丁寧に楽譜を読み解き、いくつも考えられる道から一本を選択する責任が問われるのではないだろうか。「実験音楽とシアターのためのアンサンブル」はまだまだ始まったばかりだが、地道な作業を積み重ねた末に現れる「説得力のある『音楽』」を目指して、今後も実践を続けていきたい。

注1 アンサンブルの第二回公演パンフレットに記載された、足立智美の文より。コンサートは2012年1月27日にトーキョーワンダーサイト渋谷でおこなった。

注2 同じサイズの直方体のパーツを組んでタワーを作り、そこから片手で一片を抜き取り、最上段に積みあげる動作を交代で行うテーブルゲーム。


プロフィール Tomoko HOJO
音楽/パフォーマンス。東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科卒業。卒業時にアカンサス賞を受賞。2008年AACサウンドパフォーマンス道場優秀賞受賞(愛知芸術文化センター)。「実験音楽とシアターのためのアンサンブル」の中心メンバーとしてコンサートや展覧会の企画、出演をおこなう。現在、東京藝術大学大学院音楽研究科音楽文化学専攻修士課程に在籍。