ラッセ・レヘトネン フィンランド・レポート No.2「コルスホルム音楽祭 ~日本の現代音楽をテーマに~」

ラッセ・A・レヘトネン

2012年は日本の現代音楽に興味を持つフィンランド人にとって、非常に充実した夏だった。6月にはヘルシンキで、日本とフィンランドの現代音楽に集中する「シバトモ」コンサートが開かれ、7月にエヴァ・アルクラと中井智弥のカンテレ・箏デュオが「Meidän Festivaali」(「私たちのフェスティバル」)音楽祭でフィランドと日本の音楽を演奏した。

しかし特筆すべきは、西フィンランドの町であるヴァーサ市にて7月31日から8月7日にかけて開催されたコルスホルム音楽祭であった。この音楽祭は1983年から開催されているが、今回は30回目にあたる。音楽祭芸術監督マルコ・ユロネン氏は、音楽祭の創立者の一人であるセッポ・キマネン氏と連絡を取り、キマネン氏の提案により、日本の現代音楽を2012年の音楽祭のひとつのテーマとすることとなった。

正確には、2012年の音楽祭では「パリ・モスクワ・東京」、即ちフランス、ロシア、そして日本の現代音楽に集中したものであった。フランスからは主にドビュッシー、ロシアからはショスタコーヴィッチ、そして日本からは音楽祭の主賓であった一柳慧氏の作品が演奏された。(以下敬称略) フィンランドの音楽祭で日本の現代音楽がテーマとして取り上げられることは稀だが、今回のコルスホルム音楽祭では、様々な日本の作曲家の作品が集められ、一柳の作品に加え、高橋悠治、武満徹、そして細川俊夫の作品が演奏された。その上、クラシック音楽に限らず、山下洋輔のジャズトリオも快活な演奏を披露した。

音楽祭の3つのテーマは、コルスホルム教会で開かれたオープニングコンサートを始め、すべてのコンサートを通して行われた。このオープニングコンサートで日本のテーマとして演奏されたのは、一柳の弦楽のための作品『インタースペース』だった。この最初のコンサートから、音楽祭全てにおいて、非常に高いレベルの演奏であった。実は、一柳自身、オープニングコンサートのユハ・カンガスにより指揮されたザ・オストロボスニアン・チェンバーオーケストラの演奏を聴いた後、作曲した時のアイデアと全く同様に響いた演奏だったと賞賛したとのことである。

ちなみに、オープニングコンサートで演奏された『インタースペース』は、音楽祭で演奏された一柳の作品の中では最も古いものの一つで、最も新しいのは音楽祭のために作曲された『ピアノ五重奏曲』だった。音楽祭で演奏された作品には、一柳自身の26年間の作品スタイルと作曲法における変化が反映され、非常に興味深かった。更に、ハープソロから混声合唱とチェロのための作品に至るまで、様々な形態で演奏され、規模の幅広さも感じられた。

ヴァーサ市で開催される音楽祭といっても、実際にはヴァーサ市のみならず、周辺の小さい町や村でもコンサートが開かれた。このような小さい町には一般的にコンサートホールがないため、様々な空間がコンサートホールとして代用された。言うまでもなく、このような本来コンサート活動のために設計されていない建物は、音響効果の問題がある。しかし、芸術監督ユロネンは、それを踏まえたプログラムを計画したことにより、多くのコンサートは音響効果だけではなく、雰囲気も演奏会場に相応しいものとなった。実は、このようなローカリティを活かした演奏会場がコルスホルム音楽祭の魅力の一つとも言えるだろう。

独特の雰囲気がある場所の例を一つ挙げれば、コンサートホールを代用した空間の中で特に印象に残ったのは、ユネスコ世界遺産であるブヨルッコービュー村の海に囲まれている古い「suolaamo」という漁場だった。この壁の魚網で飾られる建物の中に、一柳の作品『時の佇いⅢ』も演奏された。本来箜篌のための曲『時の佇いⅡ』だが、今回演奏された『時の佇いⅢ』はハープに編曲され、楽器を始め、様々な要素が変更された演奏だった。しかし、このような環境に調和する演奏であった。これもまたコルスホルム音楽祭ならではの魅力の一つであろう。

一柳の作品のみによる「作曲家一柳慧のポートレート」と題したコンサートも、フリッツ・ヤーコブッソン画家の画室で開かれた。小さいアトリエながらも―それとも、小さいアトリエだからこそ―正に一柳の音楽的な「ポートレート」のような非常に興味深いコンサートであった。演奏会では音楽に限らず、一柳へのインタビューも行われた。一柳が自分の作品、生活、そして考え方について語り、ピアノで「フリッツ・ヤーコブッソン」というテーマを即興で演奏された。そして、一柳自身、ピアノとアコーディオンのための『夜の来る前に』をマッティ・ランタネン氏と演奏した。このような演奏を聴く機会がフィンランド人にとってわずかなだけに、聴きに来た客にとって、強く印象に残る経験であっただろう。

ここまでは、日本のテーマにおいて中心であった一柳の作品について書いたが、その外にも大変充実したプログラムであった。特に、1304年に建築されたイソキュロ教会で演奏された武満の弦楽オーケストラとバイオリンのための『ノスタルジア』が、素晴らしかった。武満の言葉を借りれば、西洋音楽が単なる小物のように世界のどこにも簡単に移動できるのにひきかえ、日本の音楽を移動するのは芝生を移動すると同様に難しいようだ。しかし、トイヴォ・クーラとペール・ヘンリク・ノルドグレンの作品と同じコンサートで演奏された『ノスタルジア』は、フィランドの古い教会の中でも自然に響いた。つまり、少なくともフィンランドでは「移動しにくい」演奏ではなかったのだ。

更に具体的な例を挙げれば、明らかに日本の伝統的な音楽から影響を受け、雅楽などの概念を基礎とする細川の曲も武満の作品と同様に、フィンランド的な環境での演奏であった。例えば、アコーディオンのための『メロディア』が演奏された木造の教会。このような環境に調和しないと思う人もいるだろうが、それどころか、この曲もフィンランド的な環境において自然に響いた。またそれだけでなく、前記のユネスコ世界遺産のようにローカリティに対応するセンスとともに、普段とは異なる場所での演奏により、作品に新しい価値を加えたとも言える。

日本の作曲家の作品がフィンランドで初演されるのは珍しい。それゆえ、今回の音楽祭のために一柳が作曲した『ピアノ五重奏曲』が非常に興味深かった。作品は一柳特有のものであり、古典的なヴァーサ市役所での祝典コンサートでの演奏は絶妙であった。しかし、私自身は個人的に、音楽祭の最後のコンサートでハンヌ・リンテュの指揮でヴァーサ・シティー・オーケストラにより演奏された一柳の交響曲第8番『リヴェレーション2011』が最も印象的であった。東日本大震災の後で作曲された作品だが、一柳が前記のフリッツ・ヤーコブッソンの画室で述べた話によれば、日本的なものは何かと考えたとき、大地震も日本に新しい意味を与えたと言えると。この交響曲は、主題が劇的に変化していく作品で、実際に現代日本が強く描かれた印象を受けた。

全体的には、日本を中心としたテーマはもちろん、その他のテーマ、演奏においても、コルスホルム音楽祭は非常に興味深く、演奏や内容を含め大成功であった。普段、ほとんど耳にすることがない音楽を、高いレベルの演奏で聴くことができた。プログラムも演奏家たちも国際的ながらも、そのローカリティを活かし、音楽祭のフィンランドらしさをも発揮された。これこそまさにフィンランドと日本の音楽における国際協力ではないだろうか。

プロフィール Lasse A. Lehtonen
ラッセ・レへトネン(1986‐)ヘルシンキ大学音楽学修士課程在籍中。Finnish-Japanese Contemporary Music Society(フィンランド・日本現代音楽協会)副会長。音楽学者として、日本音楽の研究を専門とし、学術論文から一般向けまで幅広く寄稿・講演活動をしている。ピアニストとしては、主にフィンランド音楽及び日本音楽を得意とし、フィンランドにおいて日本の音楽家と共にコンサート活動を行っている他、プロデューサーとしても活躍している。

(Photos: Korsholm Music Festival)