カイヤ・サーリアホという作曲家
新井田 さゆり(ソプラノ)
時は2009年、オバマ氏がノーベル平和賞を受賞した年に私は単身フランスへ渡った。24歳の若き学生、ソプラノ・新井田さゆりは心躍らせシャルルドゴール空港へ降り立ち友人の父の案内のお陰で、何の不安もなくパリ市内のアパートへと向かった。
「Bonjour!」と挨拶を交わし部屋に導かれると私は既にショックを受けていた。なんとエレベーター無しの7階に私の部屋があることを知ったからだ。いわゆる屋根裏部屋。しかし二つの大きな窓が明るく部屋を照らし広々とした印象を与えてくれてすっかり気に入ってしまった。
17区のメトロ13番線の駅から徒歩1分と言う好条件のアパート、9月から通う音楽院も近く、階段を除けば快適なパリ生活のスタートである。さぁ。パリに着いた。パリに来る前に知り合ったメゾ・ソプラノのマリアンヌに報告だ。
マリアンヌは私より3歳年上で赤毛がチャームポイント、フランス人の初めてのお友達。マリアンヌがとある指揮者を紹介したいと言っていたっけ。私はすぐに連絡を取り、近くのカフェで待ち合わせをした。その時会ったのが指揮者のクレマンと演出家のアレックス。そう、指揮者だけではなく、その友人も連れて来てくれたのだ。カフェじゃなんだから、クレマンの家も近いし、とクレマンのピアノのあるアパートへと向かい、着くなりクレマンが「歌って」と言い、ピアノを弾きだし、私はプーランクの《人間の声》の一節を歌った。そこから話はすぐに「今度アレックスと二人でカンパニーを創るからその最初の公演に出演してね」という運びとなった。ニコニコ笑顔のマリアンヌに「ブラボー!」とハグされ、クレマンからは楽譜を渡された。
2010年6月。クレマンとアレックスが立ち上げたカンパニーの公演がパリ18区の病院内にあるステージで行われた。そこにフィンランド出身の作曲家カイヤ・サーリアホが観に来ていた。それもそのはず、実は演出家のアレックスはサーリアホの息子だったのだから。
公演は無事に終わり、アレックスはサーリアホを私に紹介してくれた。サーリアホは「今度、私の曲《シモーヌの受難》も歌ってくださいね」と言って握手をしてくれた。その時の手の温もりは今でも覚えている。こうして幸運なことにサーリアホの目に留まったのである。
サーリアホはどんな時でも笑顔で優しかった。そして丁寧に大切に接してくれた。彼女の曲《シモーヌの受難》を歌うときも何かアドバイスがあることはなく、「さゆりが楽譜から感じたままに歌ってほしい」と言ってくれた。楽譜には沢山の指示があり、中でも「愛をもって」や「表現を出して」と言った言葉が多くみられる。またとても速い変拍子のテンポから突然三拍子になることも多く、私は「このテンポって、散々苦しめられたことから解放されるみたいですね。例えば腕をぎゅっと掴んで離すとドバっと流れ出す血管の血みたい。変拍子で胸が締め付けられるような経験の後に三拍子で撫でられ許されるみたいな」と言ったことがある。サーリアホは「Oui, oui(そう、そう)」と頷いて聞いてくれた。そして「音楽はアイデンティティです」と言った。
2018年になって私はパリから東京へと引っ越した。サーリアホ、クレマン、アレックスは「日本に行っても《シモーヌの受難》の公演にはさゆりを呼ぶよ」と言ってくれた。その口約通り私は1年に2回、海外公演の舞台に立たせていただいた。順風満帆のようにみえた。
しかし2020年、2021年に決まっていた海外公演は瞬く間に消えた。コロナである。
そこから9回ものキャンセルを経て2022年12月29日、30日と、やっと公演することができた。そこはヘルシンキであった。
再会の時、サーリアホは車椅子に座っていた。会えなかった3年間で病が進行していたのである。2日連続の公演に彼女は来てくれていた。最後の舞台の挨拶で、彼女は優しく、そして大切なものに触れるかのような繊細なタッチで私を抱きしめてくれた。私は彼女の手を取り、泣いた。「Merci(ありがとう)」と何度も言った。彼女も「私の方こそ」と囁いた。
そして、いつもしていた公演後のように仲間とレストランへ行き、サーリアホも参加していた。しかし食事が運ばれてしばらく経つと「みんなに幸運がありますように、またね」とホテルへと帰ってしまった。私は押されて行く車椅子に駆け寄って「ça va?(大丈夫?)」と声をかけ、振り向いた彼女が微笑んで「あぁ、さゆり。ええ、大丈夫よ。あなたは?」 その交わした言葉が最後となった。
2023年7月1日に「昨日、カイヤ・サーリアホが亡くなったとご家族が発表したわ」とマリアンヌから訃報を聞いた。私の胸は激しく痛んだ。
カイヤ・サーリアホと話した言葉を思い出す。
「音楽はアイデンティティです。音楽は自己表現、個性そのもの」
私への接し方は最後まで溢れる愛そのものであった。彼女の創り出す三拍子のようだった。
70年の生涯で、最後は病気もあり、三拍子だけではない、痛みを伴うこともあったはずだ。それはカイヤ・サーリアホの楽譜に答えがあって、彼女の音楽は彼女そのものであると思う。
フィンランド出身の偉大な作曲家と過ごした私の音楽人生は、これからも彼女と共にあると信じている。心躍らせながら辿り着いたパリで素晴らしい出会いがあったこの思い出を胸に…
彼女亡き後も、マリアンヌ、クレマン、アレックスとの交流は続いている。
そのメンバーとカイヤ・サーリアホの『シモーヌの受難』を来年2025年2月にフランスのランスで公演予定である。
新井田さゆり(ソプラノ)
1984年生まれ、鎌倉出身。東京音楽大学及び同大学院の声楽科で学び渡仏後はパリ・地方音楽院で研鑽を積む。2013年からサーリアホ作曲
《シモーヌの受難》の主役で北欧・フランスを中心に初演に携わる。2018年より拠点を東京へ。フランス人男性と結婚し二児の母。
趣味:ゴルフ、キックボクシング、ヨガ、筋トレ、三味線、小唄