シベリウスとオンカロと3/11

道下匡子

Photo Gloria Steinem

フィンランドといえばシベリウスだった。彼の音楽は、凍てつく真っ白な大平原や、花吹雪と見紛(みまが)う吹きすさぶ雪の凄絶な美──子供時代を北海道で過ごした私の原風景──を掻き立ててくれる。だから作曲家一柳慧さんとチェロ奏者セッポ・キマネンが、日本・フィンランド新音楽協会を創立されたと知って、とても嬉しかった。1月18日にフィンランド大使館で開かれた贅沢な(曲目も奏者も)コンサートは、協会と新しい年の幕開けを祝うにふさわしい、アーティスティックな刺激に満ちた優雅で楽しい集いだった。
しかし3/11が、すべてを変えてしまった。もはや私たちは以前の平穏な世界に戻ることはできない。津波で家を流され、家族も財産も職も失い、さらに原発事故の放射能から逃れ、田畑も牧場も家畜も打ち捨てて、先の見えない避難所暮らしを強いられている多くの方々の状況に、もしいま自分がと想像するだけで、胸が締め付けられる。しかし巨大な地震と大津波が三陸沖を襲ったのは、今回がはじめてではない。貞観地震(869年)、明治三陸地震津波(1896)、昭和三陸地震津波(1933)は、いずれもマグニチュード8以上、なかでも明治三陸地震津波はM8.5、大津波による死者は26,360人で、津波は高い所で50メートルにも達したという(吉村昭著『三陸海岸大津波』)。
恐ろしい自然からこれほど壊滅的な被害を蒙ったとしても、原発事故さえなかったなら、生き延びた人々はすぐに畑を耕し、種を蒔き、港を開き、船を出し、自然の恩恵をいっぱいに享受し、自然を敬い、感謝を捧げ、これまでの生活を勢いよく取り戻すことができただろう。破壊され、息も絶え絶えの福島第一原子力発電所は、今なお大量の放射性物質を出し続けている。大気も大地も海も汚染され、土に染み込んだ放射性物質は、これから何十年、何百年もの間、私たちと共にあるのだ。原発の歴史上チェリノブイリと並ぶ、もしくはそれを超える最悪の事故としてFUKUSHIMAはいま世界の注目を集め、ドイツ、スイス、イタリアが脱原発へと素早く舵を切ったのにひきかえ、本家本元の日本では、原発推進の張本人=経産省を率いる大臣が、「原発がなければ安定した電力を供給できず、日本の経済は逼迫する」と、これまでどおりのおためごかしを繰り返すのみ。再生可能なエネルギーの開発を「国策」として推進しつつ、休んでいる火力、水力発電を稼働すれば、十分過ぎるほどの電力が、この国にはある。もうこれ以上、国民を侮ってはならぬ。
3月24日、福島県須賀川市で、ひとりの農業経営者(64)が自ら命を絶った。手塩にかけたキャベツの出荷停止措置の直後だった。「良い作物を作るにはなんつっても土が大事」が口癖、「安全な食べ物」をつくるために身を粉にして働いてきた。3月12日、爆発する原発の映像を目にして、温厚な彼が怒りで声を震わせた。「俺の心配していたとおりになった。福島の百姓もこれで終わりだ」(東京新聞 5/14/11)
6月11日、福島県相馬市で、ひとりの酪農家(54)が新築したばかりの堆肥舍で亡くなっているのを、訪れたJA(農協)職員が見つけた。ベニヤ板の壁には、「原発さえなければと思います」と、白いチョークで無念の走り書き。手塩にかけた40頭の乳牛を飼い、朝は暗いうちから起きて牧草を刈り、父親から継いだ牧場を大きくしようと懸命に働いた。原乳が出荷停止となり、ひと月の間、彼は搾った原乳を捨て続けた。 (朝日新聞 6/20/11)
広島と長崎に原子爆弾を投下された日本は、世界で唯一の被爆国。私たちには放射能の恐ろしさが身に沁みているはずではなかったのか。それなのに私たちの知らぬ間に、ひとつ間違えば地獄の蓋が開く、危険極まる原発が、この地震・津波大国の狭い国土に54基もぞろりと並び、いまや日本はアメリカ、フランスに次ぐ原発大国。
「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから(Let all the souls here rest in peace: For we shall not repeat the evil. )」と広島の原爆死没者慰霊碑に記されたこの言葉を、今こそ私たちはふたたび深くこころに刻み込まなければならぬ。それ以外に私たちに残された東日本の、いや日本全体の真の復興への道はない。
こんなとき渋谷のUPLINKで、昨年世界中の主要なドキュメンタリー映画賞を総なめにしたマイケル・マドセン監督の『100,000年後の安全』を見た。ONKALO(フィンランド語で「隠れた場所」)と呼ばれる使用済みウラン燃料の「ゴミ捨て場」の話だ。フィンランドは世界に先駆けて、放射性廃棄物の広大な貯蔵施設を、ヘルシンキから西へ240 km、オルキルト島の岩盤を地下500メートル掘った所に建設中で、完成は100年後の22世紀という。そのときオンカロは、放射能廃棄物が生命にとって無害になる10万年の歳月に向けて永遠に封じられる。シベリウスからオンカロへ、フィンランドは、「危険きわまる原子力エネルギーを、人間がもし少しでも手にするなら、原発の出し続ける危険きわまる膨大な量のゴミの始末を解決してから」と世界への警告を発しながら、力強い足取りで静かに前進し続けている。


道下匡子 (みちした きょうこ)
作家・翻訳家
1942年 樺太(現サハリン)生まれ。
1967年ウィスコンシン大学ジャーナリズム科卒。
1967-69年ニューヨーク国連本部勤務
1969-97年東京アメリカン・センターのアーツ・プログラム・スペシャリストとして、現代アメリカ文化の紹介に力をそそぐ。
著書:『ブルー・アワー』(三一書房)『ダスビダーニャ、わが樺太』(ノンフィクション文学賞蓮如賞受賞、河出書房新社)他。
訳書:グロリア・スタイネム著『ほんとうの自分を求めて──自尊心と愛の革命』(中央公論新社)グロリア・スタイネム著、ジョージ・バリス写真『マリリン』(草思社) ローリー・ライル著『ジョージア・オキーフ──崇高なるアメリカ精神の肖像』(パルコ出版局)他。