真の豊かさ、文化の成熟

大塚 信一

私の親しい先輩である友人が、湘南の閑静な町に住んでいる。職業は医者だが、現在では高齢になったため、診察に当てる時間をへらしているそうだ。
二,三年前からこの友人夫妻は、自宅で年に数回、小規模な室内楽のコンサートを開催していて、その都度40人前後の聴衆が参加する。特別な舞台があるわけではないので、奏者と聴衆の距離が近く、親密な雰囲気がかもし出される。最近のコンサートの例を紹介すると、ヴィオラ奏者の百武由紀さんがお嬢さんの百武恵子さんのピアノ伴奏で、ブラームスのヴィオラ・ソナタなどを演奏した。
友人の邸宅は、西行の短歌で知られる名所の沢に面して建てられているので、私たちは演奏を聞きながら、窓の外の太い孟宗竹に陽が当り、微妙に変化するのを眺めることができる。もちろん、さまざまな鳥の声も耳に入ってくる。
そうした自然環境のなかで、練達のアーティストの演奏を堪能し、コンサートが終ると友人の夫人が用意してくれたコーヒーやケーキを楽しみながら、素晴らしかった音楽のことやいろいろな話題に話の花を咲かせる。そこに奏者たちも加わり、しばしの間充実した時間が流れる。そして皆、何ともいえぬ幸福感に包まれながら、それぞれ家路につく。
このコンサートにぜいたくなことは何もない。各自がリーズナブルな参加費を払い、カジュアルな装いで参集し、昭和初期に建てられた洋式家屋で室内楽を楽しみ、お茶の時間を過ごすだけだ。
もし、ぜいたくなことと言うのならば、落ち着いた環境のなかで、優れた奏者の演奏を、親密な雰囲気のうちに、心から楽しむことができるように、私たちはなってきたのだ、ということではないだろうか。
私は老人なので、敗戦直後の焼け野原を知っている。食物は何もなかった。当時こどもであった私にとって、アメリカ軍の兵隊がくれたハーシーの板チョコやチューインガムは、どんなに文明の香りのするぜいたくなものであったことだろう。
それから70年近くたった現在、ようやく私たちは、真のぜいたくを知ることができるようになったのだと思う。それは、とりも直さず文化の成熟ということでもあるだろう。

私は思うのだが、それはGNPやGDPの大きさとは関係がない。かつて世界第二位の経済大国であったとき、日本が何をしたかと言えば、金にまかせてアメリカの由緒ある建物や企業を買収したのだった。
そこに文化の成熟を感得することはできない。ただ資本の力の非情さを知るのみである。今また、隣国の中国は第二の経済大国として覇権を競っている。かつて豊かな文化を育み、日本にも深く影響を与えた中国の現在の姿に、文化の成熟を思う人は少ないのではないか、と私は思う。
私たち日本人にとって”3.11”は、大きな犠牲の上にではあったが、真の豊かさや文化の成熟を考えるためのまたとない機会であった。しかし残念ながら、私たちが選択した現政権は、”アベノミクス”や”特定秘密保護法案”によって、かつて私たちが歩んだ”大国”への道を再び辿ろうとしている。

私は、まだ三回だけだが、毎冬に開催される駐日フィンランド大使館での日本・フィンランド新音楽協会のコンサートを大いに楽しんできた。両国の若い世代のアーティストたちの作品と演奏は、いつも私を驚嘆させる。一柳慧さんによれば、フィンランドの音楽環境は日本よりはるかに充実しているようだが、なるほどと思わされる。
三回のコンサートでは、終了後、私の友人邸のそれと同様に、大使館によって心尽しの軽食がふるまわれた。大使夫妻や日本とフィンランドのアーティストたちと気軽に会話を楽しめるのも同じだ。
国の規模からすれば、けっして大国とは言えないフィンランドの若い世代の音楽家たちを見ていると、いつもこの国の文化の成熟度の高さを思い、うらやましくなる。国土の広大さや資源の豊富さ、経済力の強大さなどによってではなく、ごく普通の市民の文化水準の高さと成熟をこそ、私は大切にしたいと思う。


大塚 信一
1939年生まれ。国際基督教大学卒業。63年、岩波書店に入社。「思想」や岩波新書、その他の叢書や講座ものの編集を担当。
「へるめす」創刊編集長を経て、97年~2003年まで、代表取締役社長。東アジア出版人会議最高顧問。
著書に『理想の出版を求めて』『山口昌男の手紙』『哲学者・中村雄二郎の仕事』 『河合隼雄 心理療法家の誕生』『河合隼雄 物語を生きる』『火の神話学』など。