「フェスティバルを通して視た共存と平等な世界」

一柳 慧

はじめに、この協会を設立するにあたり、そのきっかけとなった昨年夏行われた第25回Avanti! Summer Sounds festivalに招待された時のフィンランドの感想を少し述べておきたい。

フィンランドへ着いてまず驚かされたことが二つあった。一つは物によって多少の違いはあるが、30%という消費税の高さである。今、我が国では10%に上げるのに中々結論を出せずにゴタゴタしている。それと比較しても、30%というのは日本人の感覚からすると、異常に高い数値である。そしてもう一つ驚かされたのは、-実はこちらの方がより本質的な問題なのであるが-この高い消費税下にあっても、フィンランドの人々は温厚で謙虚であり、誰も不満そうではないことであった。推察するに、それはおそらくこの国では高い税を払っても人々に一定の満足感を感じてもらえる運営がきちんとされていることによるものであろうと思われた。その根底にあるのは、今、社会や政治の世界で何が起こっているのかを、人々が充分理解し、把握できる状態がつくり出されているからであろう。その社会の透明さ故に、人々は安心して不満なく生活できているのではないか。そして気持にゆとりがあれば、芸術や文化活動も活性化し、それに意欲的に携わる人も増えてくるであろう。私はAvanti! festivalが落ち着いた雰囲気の中で運営されているのをみて、さもありなんという思いがした。ちなみにフェスティバルの事務所は、これまでノキアが使用していた広大な建物の中にある。

昨年のAvanti! festivalは、長年クフモ・フェスティバルを運営し、日本に文化参事官として赴任していたセッポ・キマネン氏をディレクターとし、また、今もっとも売れっ子の名クラリネット奏者カリ・クリーック氏を演奏グループのリーダーとして行われたが、謙虚で誰に対しても友好的な彼らは、超多忙なスケジュールの中でも忙しさをおくびにも出さず、いつもジョークを飛ばしながら、私たち日本からのゲストに対しても、演奏家の仲間や聴衆に対しても、誠実丁寧に接していた。毎回コンサートが終ると、少なからぬ聴衆が作曲家や演奏家を取り囲んで熱心な反応を示してくれたのも、彼らのこのような態度が音楽の社会性を育む役割を果たしているように感じられて快かった。

私はこれまで、ウィーン・モダンやベルリン・フェスティヴォーヘン、オスロのウルティマやオランダ・フェスなど、西ヨーロッパのいろいろな音楽祭に参加招待されてきたが、招待作曲家とは言え、私の曲を室内楽からオーケストラまで含めて12曲も素晴らしい演奏で聴かせてくれたAvanti! festivalは、もっともアット・ホームな雰囲気の中で、つまり一般の人たちを含めて、さまざまな分野の人達と交流ができたフェスティバルであった。ヨーロッパの大都市ではなく、ヘルシンキ郊外の小さな町ポルヴォーで行われたこともあるが、そこで使われた会場が、ホール以外に由緒ある教会や、体育館や、学校の施設など、多岐にわたっていて、空間的に町全体が音楽的雰囲気に包まれ、生活との距離感を感じさせなくしていたこともよかった。

この日本・フィンランド新音楽協会の設立が、このようなフィンランドでの経験や人的交流が背景になったことは言うまでもない。かつて私のニューヨーク時代の旧友である長老の作曲家E・ラウタヴァーラ氏や、若くして文化大臣を務め、去年来日して東京で文化講演会を行ったO・ヘイノネン氏、インタビューを受けたヘルシンキ・サノマット紙の主席ジャーナリストH・ランピラ氏などとの話合いは、時間がたつのを忘れさせるくらい熱が入った。協会のオープニングのあと間もなく3・11の大震災が発生し、原発事故も引き起こされた上、その対応の遅れと、情報の混乱や隠蔽によって多くの外国人が日本から脱出した。また、来日予定であった音楽、美術関係者などアーティスト達のキャンセルが相次いで多くの公演の中止もあり、文化的に大きな損失を被った。環太平洋地震帯上にある日本に、もし次の災害やフクシマのような原発事故が発生したら、日本を訪れる外国人は更に減少し、日本の文化芸術は大きく衰退するであろう。そのために今あらゆる分野に確固たる将来へのヴィジョンや展望が求められている。

3・11のあと、協会の活動に間があいてしまったが、天然の無常とも言うべき出来事を経験した以上、これから何を行うべきかを、改めて問うてゆきながら次の活動につなげてゆければと思っている。皆様方の一層のご支援、ご鞭撻をお願い申し上げる次第です。